日常を離れて、聖地・巡礼地を訪れる

現代に求められる心の癒し
巡礼とは、日常の生活から一時的に離れ、聖地や霊場を参拝に訪れることです。昔の巡礼は、聖なるものにより近づこうとする宗教的行動でしたが、現代では、宗教的な信仰を目的とするばかりではなく、日々の生活でのストレス解消や、自分の心と向き合う目的でお寺を訪ねたり、神社に参詣する人が増えています。神聖な空気に触れることで、非日常が体験できる旅のツアーや、お寺や神社の祭りにあわせたイベントが企画されています。聖地や霊場、巡礼地は全国各地にあり、観光旅行とは違う体験を得ることができます。

日本の巡礼の起源、四国八十八箇所
空海(くうかい、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)。真言宗の開祖)は、生誕の地である四国の石鎚山や大瀧嶽、室戸崎などでの入定(にゅうじょう。永遠の瞑想に入っているという信仰)、修行の後、名前を「空海」と改め、遣唐使の一行として唐に渡ります。長安の青龍寺にて密教のすべてを学び、帰国後、真言宗を開創し、高野山や東寺を建てました。
今から1200年前、弘法大師42歳のときに人々に災難を除くために四国霊場を開きました。その後に大師の高弟が大師の足跡を辿って遍歴したのが、霊場めぐりの始まりとされています。空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海(ふだらくとかい、民衆を先導する捨身行の形態)の地を加え、四国全体を「修行の場」とする修行を、修行僧や修験者がいたしました。こうして密教の修行僧などによって「修行として巡礼」が行われ、「四国八十八箇所お遍路」の起こりとなり、庶民にも広がったといわれています。
八十八ヶ所の由来はいろいろ説があり、人間には88の煩悩があるという説や、男四十二、女三十三、子供十三の各厄年を合わせた数、そして俗界三十二、色界二十八に、無色界二十八の見惑を合わせた数、「米」の字を分解したとするものなどさまざまです。

三十三箇所観音霊場巡礼
養老2年(718年)、大和長谷寺の開山徳道上人が病にて仮死状態になった際、冥土で閻魔大王に会い、「世の苦しむ人々のために三十三箇所の観音霊場を作って巡礼を勧めよ」のお告げを受け、起請文と宝印を授かって現世に戻されました。病から覚めた徳道は宝印に従い三十三箇所の霊場を設けたのですが、世の人々からの信仰が得られず、宝印を摂津中山寺で石棺に収めたという、観音巡礼の起源となる話が伝えられています。
その後、寛和2年(986年)、19歳で出家した花山法王は比叡山で修行の後、かつての三十三箇所観音霊場巡礼を発願しました。中山寺の石棺に収められていた宝印を捜し出して、永延2年(988年)に紀州熊野から宝印の三十三箇所霊場を巡礼し再興を祈願しました。これが現在の西国三十三所の起源といわれています。
源頼朝が深い観音信仰を持っていたことから、西国に倣って坂東三十三箇所霊場を発願し、実朝の代になって成立したものと考えられています。源平の戦いの後、敵味方を問わない供養や永い平和への祈願が盛んになり、多くの武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場への想いなどが結びつき、鎌倉時代の初期に坂東三十三観音霊場が開設されたといいます。やがて、秩父三十四観音霊場を加えた日本百観音霊場へと発展し、今日に至っています。

新たな教え、多彩な巡礼の誕生
平安時代末期には、飢饉が起き、疫病が流行し、社会は乱れ、日本の仏教も変質し、僧侶は堕落し、仏教での「末法」通りのことが起きてしまいました。こうした末法思想の世で、日本の仏教では、大きく二つの潮流が生じました。
浄土信仰には、「この世では救われること無い、遥か西方の「浄土」で救われる」という「極楽往生を願う巡礼」が起こります。熊野を「極楽浄土の地」として、「日本書記」の一書の、熊野を「死者の国」とみる熊野への巡礼がさかんになりました。
他方、日蓮は法華経を根本に、自分の生命はこの世で実際に幸福を築くべきだと説きました。そして世界は決して「俗なる場所」と「聖なる場所」に分けられているわけではない、と基本的に考えを示し、巡礼という行為で自分が変われることなどないとして、日蓮の信徒は「巡礼」に熱中することはなかったようです。それでも日蓮宗の多くの宗派では、日蓮ゆかりの久遠寺、池上本門寺、清澄寺、誕生寺の「日蓮宗四霊場」のほか、鎌倉安国論時、長勝寺などへ巡礼を行なうこともあったようです。
かくして日本では観音信仰、密教信仰(大師信仰)、浄土信仰、法華経信仰、日蓮への信仰 等々 それぞれの立場で巡礼が行われました。近世に入ると平和な世の中を反映して、庶民が信仰上の巡礼を目的としつつも旅行としても楽しむようになり、巡礼は大衆化しました。

歴史に触れる巡礼の旅
巡礼は宗教的聖地を巡ることで、かつては修行としての巡礼旅でしたが、現在では様々な目的を持った多くの人が巡礼地を訪れています。巡礼とは札所(聖地)を巡ることで、日本などの仏教の世界では複数の聖地を回るのとを意味していますが、キリスト教、イスラム教の世界では一カ所の聖地を訪れることを指しています。
同じ巡礼でも、「お遍路」と「巡礼」では何が違うのでしょうか。お遍路とは、「四国八十八箇所お遍路」の場合、弘法大師が歩いた順番でそのまま八十八箇所を巡ることです。巡礼とは、「坂東三十三観音巡礼」では、定められた札所(聖地)をお参りすることで、「一番札所」「二番札所」を順番にではなく33箇所を巡ることが大事とされ、順番は指定されていません。こうして巡礼することを、霊場巡り、聖地巡礼、札所巡りといわれ、日本の各地に巡礼地となる霊場があり、古くから多くの庶民信仰の聖地となっています。近年パワースポットと注目される比叡山、高野山、恐山なども霊場であり、四国八十八箇所お遍路も、お伊勢さんなどを含む神仏霊場など、昔からの巡礼体験で歴史を感じることになります。
最近では神田明神が人気アニメの舞台になったり、埼玉県秩父市、茨城県大洗町など、宗教とは何の関わりもない普通の地方都市までも「聖地」として注目を集め、新たな、聖地巡礼が作られそうです。

聖地での体験は、心身のリフレッシュ
聖地に一歩足を踏み入れるだけで、神聖な世界に浸ることができます。四国八十八箇所の巡礼は、徳島から始まります。高知、愛媛、香川の順に巡り、その道のりは1400Kmにも及び、すべてを順拝することで願いが叶ったり、弘法大師の功徳が得られます。最近は参拝する目的も多様化し、健康祈願や近親者の供養、健康増進、自分探しの旅など、人によって実にさまざまです。歩いて巡る「歩き遍路」が伝統的ですが、1日30km歩くとしても、全ての札所を巡るには約40日必要になります。そこで、自家用車やレンタカーでの「車遍路」や旅行社の「ツアーバス遍路」、自転車を利用する方法もあります。自分に合った巡り方で心身のリフレッシュを図りましょう。
巡礼者の白装束や持つ菅笠(すげがさ)に「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれているのは、自分自身と弘法大師の「二人で行く」ということで、お遍路は弘法大師と二人で行く巡礼の旅という意味になります。道中、地元の人たちから「お遍路さん」と呼ばれ、「お接待」というおもてなしを受けることが、心の癒しとなります。巡礼での宿は宿坊を利用しましょう。宿坊は、僧侶や参拝者のために作られた宿泊施設で、比較的安い料金で泊まれる上に、野菜中心の精進料理を味わうことができます。また、最近の宿坊には天然温泉の沸いているところもあるので、旅の疲れもゆっくり癒すことができます。

宿坊だからこそ、写経や坐禅、精進料理
古代での巡礼は、道中および目的地の寺社の宿泊は、貴族など特権階級だけが許されており、その後、鎌倉時代から室町時代にかけて、宿坊の利用が武家や一般庶民へと広まりました。江戸時代に入り、お伊勢参り、高野山や出羽三山なども巡礼地となり、宿坊へ宿泊が全国各地へ広がりました。
宿坊はお寺の一部ですが、一般の人も気軽に宿泊できるようになり、また、インターネット予約に対応している宿坊もあり、ホテルや旅館と同じように、予約し、利用することができます。宿坊の特徴は、「生きた伝統や文化を肌で感じられる」ことで、宿坊に泊まった翌朝には、多くのお寺で朝のお勤め(勤行)が行われます。また写経や坐禅、僧侶のお話なども、宿坊だからこその体験です。食事も、宿坊の多くは精進料理で、仏教の戒律に基づき調理され、食事そのものも修行の一部として仏教と共に中国から伝わったものです。
宿坊の利用で注意は、ホテル、旅館と違い、宿坊によっては門限が早いところがあり、施設内でお酒が禁止されているところも多い、というとことです。基本的には「お寺に泊めて頂く」ことなので、各宿坊のルールを守るようにすべきでしょう。日常の喧噪を離れ、静かな環境に身を置いて、寺社に息づく美意識に囲まれることで、心身共にリフレッシュできるのではないでしょうか。