日本の祭りには、古来より続く歴史と伝統があります。地域の人々との交流の中で、祭りはその地域の伝統文化に触れる大切な場です。祭りの開催は、地域の結束を養い、伝統や風習を守りながら、先人の指導による知識と文化を伝承することなので、後継者との交流や訓練なしに養成できません。祭りのために集まり、語り合う中で信頼関係が培われ、日常でも「困った時はお互いに助け合う」という気持ちが自然に発揮されます。 地域の人々は、祭りが持つエネルギーや活力を生きる楽しみしているので、祭りを消すことはできません。
祭りの起源
祭りの起源は、自然信仰や神道の信仰にあります。古代の日本人は、自然の力や神々の存在を畏敬の念をもって崇め、祈りを捧げていました。生活を通じて山や川、木々や動物など、自然界には神が宿ると信じ、万物への祈りの宴が祭りを生みました。次第に五穀豊穣や厄除けなどの祈りを込めたり、また神々への感謝の形として行われ、現代のようなさまざまな種類の祭りになっていきました。
日本での祭りの始まりは、「岩戸隠れ」の神話にあると考えられます。太陽の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)は、いたずら好きな神である弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の行いに怒り、天の岩戸という岩屋に隠れてしまいます。真っ暗になり、光が失われてしまった世の中をなんとかしようと、八百万の神々は考え、一計を案じました。岩戸の前で踊ったり歌ったりの大饗宴を繰り広げたのです。外の賑やかさを不思議に思った天照大神は、岩戸を少し開けて外を覗います。そこで、力の強い天手力男神(あめのたぢからおのかみ)は、力いっぱい岩戸を開き、天照大神が現れました。 真っ暗だった世の中もみるまに明るくなり、神々も大喜び、平和な暮らしが戻ってきました。この「宴」が現在の祭りの起源になりました。
五穀豊穣と厄除けを願う祭り
八百万の神とは、日本神話に登場する神々の総称で、日本で古くから存在する神道で祀られている神のことです。古代から日本ではあらゆる現象や、太陽から月、山や森、風や雷、家のなかにまで、世の中に存在するすべての物に神が宿っていると考えられていました。そうした無数の神々を「八百万の神」として崇める風習がありました。
神は祭りの中心的な存在であり、自然信仰とあわせ、日本の祭りの重要な要素として登場します。神々が現れる場である祭りで、その空気に触れ、その神々に祈りを捧げることで、人々は自然とのつながりを感じ、神々の存在を実感しているのです。
古代の日本は、農作物の豊作への願いや、病気や災害の退散など、神の存在は人々の生活に密着し、神への祈りが暮らしに欠かせないものでした。そのため、祭りは地域への希望を与えるものとして広まりました。神社などは神聖な場所として、神々への祈りや供物の奉納、神楽や舞踊などの儀式が行われました。地域の結束を高め、共同体の一員としての誇りで、人々は神々との交流を深めていきました。
日本の祭りの本来の目的は「神さまに感謝する」ことで、「祭り(まつり)」という言葉の語源も「祀る(まつる)」です。神に供え物を献上し、祈願すること、またはその儀式のことです。
庶民に広まった祭り
日本の祭りは、元々は新嘗祭などの宮中儀式や、祇園祭などの御霊会は貴族や寺社の行事として始まりました。時代が経つにつれて、庶民の間にも広まっていきました。
日本各地ではさまざまな形態の祭りが古代より行なわれ、その中には神楽や囃子といった神々を喜ばせるための芸能も含まれ、後に演目や芸能の形式も多様化していきます。6世紀以降は仏教伝来、神仏習合を経て神社が神さまだけでなく仏さまも祀るものという在り方になると、祭りもまたさまざまな形式や意味をもつことになりました。
江戸時代になると祭りはすっかり庶民の娯楽として定着し、神輿や山車の行列、獅子舞、花火大会などの催しが多く見られるようになりました。また、お盆に踊られる盆踊りや七夕など、仏教、外国伝来の行事に由来するもの、武将たちの戦勝を祈念したもの、流行病の沈静化を願ったものなど、新しい由緒を持つ祭りもどんどん生まれていきました。盆踊りは、お盆の時期に行われる踊りで、農作業の終了を祝い、先祖の霊を迎えるために行います。仏教に由来する「盆(ぼん)」の時期に先祖を供養するための踊りといわれます。地域住民の集まる広場などで、音頭にあわせて踊る盆踊りは、昔から庶民の楽しみであり、夏の風物詩として親しまれています。
歴史に翻弄された現代の祭り
「神仏分離」は、明治時代に行われた宗教政策の一環で、神道と仏教を分離することを目的としていました(「神仏分離令」「神仏判然令」)。祭政一致の社会を目指した明治政府は、神道のみを国民の精神的要とするため「国家神道」を掲げ、仏教と神道を切り離し、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という仏教の撤廃を行なったのです。廃仏毀釈は仏教排斥が目的ではなかったが、結果として、神職者たちによる廃仏運動で、仏像や仏具の破棄が全国的に発生しました。寺社の廃寺化、仏教行事の禁止など、日本から仏教的要素が消えることになりました。仏教行事はもちろん、さまざまな祭りがこの政策で消滅していきました。残された祭りも形式を変えられ、、神仏分離令は日本の祭り史上に残る大混乱を起こすこととなるのです。
終戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により国家神道は解体され、神道自体も国家による管理体制を離れ、廃仏毀釈の波もおさまりました。神道と仏教はまた新たに別々の宗教として道を歩んでいくこととなり、分離令により失われていた祭りも、いくつかは伝統を引き継いだ人たちにより復興されました。ただ、祭りそのものが単なる大衆の「イベント」と化してしまい、町おこしを目的とした新しい祭りが各地で行なわれているようです。
庶民文化が支える祭り
祭りは庶民の生活に密着したものになり、祭りの時期には露店が並び、地元の特産品や食べ物が販売されたり、商業的な要素を含んでいます。これによって、地域経済の活性化や交流が生まれ、庶民の生活に豊かさをもたらしました。地域の結束力や文化の継承に、祭りが大きく貢献することで、人々はお互いに協力し合って、地域の伝統や風習を守り、新たな文化を人々の中に創り出すことになりました。
庶民に広まった祭りは、その参加の自由さや地域の一体感が魅力になります。そんな中で、日本の文化や伝統を守りながら、新たな価値や魅力、活力を生み出すことなるのです。祭りを通じて、一時的であれ、地域の人々の心を一つにし、将来を生きる力を得ることになるのです。
日本の祭りの歴史と伝統は、豊かな文化と人々の繋がりを象徴しています。祭りは実施される季節や地域によって多様です。神社仏閣や伝統的な民家が神聖な舞台となり、太鼓や神楽などの伝統芸能を通じて、人々は一体感を分かち合い、世代を超えて伝統的なつながりを育む役割となっているのです。日本の祭りの魅力は、その歴史と共に歩み、古来の風習が現代社会にもに息づく庶民の支えにあるといえます。