歴史から見える人々の暮らし、暦と祭りの文化
今日の趣き-blog-
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目次
1. 時代祭は、明治時代より始められた京都三大祭りの一つ
2. 時代祭は、毎年10月22日に行われる平安神宮の大祭
3. 第4回内国勧業博覧会の開催は、京都の町おこし
4. 京都人の心意気と誇りが織り込まれた、壮大な行列
5. 都の1000年を振り返る、時代風俗行列
6. 明治維新から始まり、延暦時代へとさかのぼる
時代祭は、平安神宮の大祭です。平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895)に始まりました。明治維新時代から平安京の造営された延暦時代まで、時代時代のスタイルに扮して、約2000人の市民が京都のまちを練り歩く時代風俗行列がみどころです。
東京遷都によって、多くの人たちが京都を離れ、人口は激減しました。京都市民は伝統都市の復興、改革への意欲に燃え、立ち上がります。博覧会の開催は、京都の勧業政策の重要な柱で、第4回内国勧業博覧会が開催され、平安神宮一帯を会場に多くのパビリオンが建てられ、博覧会は大成功します。そして、平安遷都から1100年の紀念祭と式典が開催され、これが現在の時代祭となりました。
1. 時代祭は、明治時代より始められた京都三大祭りの一つ
明治維新によって事実上、首都が東京へ遷ったことは、京都の人々にとって大きな打撃でした。当時、幕末の戦乱で京都の市街地は荒廃し、衰退を見せた京都の、町おこしから始まった事業で平安神宮が創建され、平安神宮の大祭として、創始されたのが時代祭です。千有余年にわたって培ってきた伝統工芸技術の粋を、動く歴史風俗絵巻として内外に披露することを目的としたのが時代祭です。「一目で京都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」と、京都人の誇りがふんだんに織り込まれています。
京都には葵祭、祇園祭、時代祭という京都三大祭があります。
葵祭 毎年5月15日に下鴨神社と上賀茂神社で行われる約1400年前から続く祭事で、古くは五穀豊穣を願った王朝貴族の行事です。6世紀頃、賀茂神の祟りによる飢餓疫病を鎮めるために行われた祭で元々は「賀茂祭」と呼ばれていました。江戸時代に二葉葵を飾った牛車などの巡行により、「葵祭」と呼ばれるようになりました。
祇園祭 毎年7月1日から31日にかけて1か月間行われ、八坂神社主催の御霊会のほか、山鉾町が主催の山鉾行事(重要無形民俗文化財)が行われるお祭りです。古くは疫病退散、無病息災を祈念した御霊会でした。山鉾巡行などの祭事があり、前夜祭の宵山では山鉾の提灯に火が灯され、たくさんの露店が並び、京の町を盛り上げます。
時代祭 三大祭のなかで最も新しい祭で、10月に平安神宮にて催される、歴史と伝統の都・京都の祭として、京都の秋を代表する祭です。
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2. 時代祭は、毎年10月22日に行われる平安神宮の大祭
平安遷都から1100年目を記念して、明治28(1895)年、桓武天皇を祭神として平安神宮が造営され、10月22日~24日に紀念祭を、さらに25日に、千余年の時代風俗行列が行われました。翌年からは、毎年遷都の日である10月22日に時代風俗行列が行われるようになり、これが時代祭となりました。その後、昭和15年(1940、皇紀2600年にあたる)には、平安京最後の天皇である孝明天皇が祀られました。「平安」という言葉は平安京の名称であり、京都復興の思いを後世に伝えて平安を祈るという意味もあります。時代祭は、「平安神宮の創建」と「平安遷都1100年祭」を奉祝する行事として始まりました。
明治維新による京都の衰退ぶりを救ったのは、京都復興への数々の事業の展開でした。教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれました。これらの町おこし事業が結実して、平安神宮は創建されました。時代祭は、平安神宮創建と同時に組織された市民組織「平安講社」によって支えられています。創設当初の行列は6つだけでしたが、現在では20の行列が時代考証に基づいた装束を身にまとって練り歩き、各列に様々な市民が参加しています。総勢約2000名もの人々が参列する行列は約2キロ、2時間かかります。行列の最後に登場する神幸列の、先の鳳輦(ほうれん、天皇の乗り物)には孝明天皇が、後の鳳輦は桓武天皇が祀られ、京都の市内をご巡幸され、市民の様子をご覧になります。時代祭の行列は神幸列にお供する祭列なのです。
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3. 第4回内国勧業博覧会の開催は、京都の町おこし
博覧会開催が利益を生むことが周知されたため、東京遷都以降の低迷を活性化したい京都の強い誘致運動により、平安遷都千百年紀念祭にあわせて、明治28年(1895)の第4回内国勧業博覧会の開催地が京都に決定しました。1894年には日清戦争が勃発していましたが、政府は殖産興業政策は戦時中であっても重要であるとし、予定通りの開催を決めました。
今や、多くの観光客が訪れる、京都観光の中心地である平安神宮のある岡崎公園周辺は、美術館や文化会館などが立ち並び、文化施設の中心地ともなっています。元々、平安神宮の社殿は博覧会のメインパビリオンとして造られました。日本庭園「神苑」や、朱色の「大極殿」「大鳥居」など、創建当時の建築技術が結集し平安京の造形が再現されています。
当時、水田と蕪菁(かぶら)畑が広がる会場の岡崎に、工業館、農林館、器械館、水産館、美術館、動物館や各府県のパビリオンなどが建てられました。博覧会の出品点数169,000点、岡崎公園入場者は開催期間の4か月に1,136,695人と盛況でした。道路・旅宿の整備が進み、京都の観光都市としての基礎が作られ、博覧会開催は京都の経済・文化の復興と再生に大きな役割を果たしたのです。
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4. 京都人の心意気と誇りが織り込まれた、壮大な行列
平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する例大祭の行事として、明治28年(1895)に時代祭は始まりました。桓武天皇が延暦13年(794)に長岡京から平安京に都を移し、車駕(しゃが、天皇の乗り物)が新都に入った日とされる10月22日が「京都の誕生日」として、毎年開催されています。
列の長さは2㎞にも及びます。約12,000点にも及ぶ衣装、祭具、調度品は綿密な時代考証が行われて、細部に至るまで各時代を再現しています。その豪華絢爛な時代絵巻は目を見張るばかり。京都に受け継がれてきた伝統工芸技術の粋を感じることができます。
明治維新から始まり、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、最後に平安京の造営された延暦と8つの時代にまたがって、それぞれの時代の衣装を身にまとった20の列が、牛や馬を含む総勢約2000名におよぶ行列となり、秋の都大路を練り歩きます。最後に御鳳輦(ごほうれん、天皇が行幸に際して座乗した専用の乗物)の神幸(しんこう、神のお出まし)列、および弓箭(きゅうせん、弓と矢)組列の順で編成されています。行列の順序は新しい時代である明治維新から始まり、より古い時代の延暦時代へとさかのぼるのが特徴です。
1万2000点にもおよぶ調度、衣裳、祭具は綿密な時代考証が重ねられ、京都が1000年の間、都として培って来た伝統工芸技術の粋を集めて復元された本物で、まさに生きた時代絵巻が繰り広げられるのです。千年の文化が時代祭で甦る京都の今を感じます。そしてこの祭りの真の意義は、この壮大な行列が神幸列にお供する祭列であるということです。つまり平安神宮のご祭神、桓武天皇と孝明天皇のご神霊に京都市中を巡行していただき、市民の暮らしぶりを親しくご覧いただく事と、京都全市民が心を一つに行く先の平安を祈る祭礼、それが時代祭なのです。
西利の千枚漬
京漬物の代名詞
京の伝統野菜「聖護院かぶら」を薄く切り、北海道産の昆布を使い一枚一枚丁寧に漬けこまれた、まろやかで繊細な風味は、まさに味の芸術品といえる逸品です。京丹後市の「西利・あじわいの郷工場」で漬け込まれています。
5. 都の1000年を振り返る、時代風俗行列
維新勤王隊から延暦時代まで、1000年を約2時間で見ることができる時代風俗行列です。総勢およそ2000人の市民が、桂小五郎、西郷隆盛、織田信長といった歴史上人物などに扮し、馬や牛車に乗ったりして、次々に前を通っていきます。
時代風俗行列では、衣裳やヘアスタイル、祭具など、時代による変化が正確に復元されています。同じ平安時代の女性でも、清少納言は十二単(じゅうにひとえ、公家 女子の正装)、紫式部は小袿(こうちき、貴族女子のなかでも特に高位の女性が着る上着)をまとっていたりと、違いがあります。衣装をを堪能しながら行列を見るのも楽しみのひとつです。
京の町衆の風流踊りを再現した「室町洛中風俗列」や職業集団ともいえる「白川女」「大原女」などの行列も。時代を彩った庶民たちも、京のまちによみがえります。
延暦時代列につづき、神饌物を奉献する「神饌講社列」、雅楽の伶人などの「前列」、そして「神幸列」が登場します。実はこれまでの行列はこの神幸列にお供をするためのものなのです。神幸列には2基の御鳳輦があり、平安神宮の御祭神である桓武天皇と孝明天皇の御神霊が乗られています。
伊藤久右衛門
栗抹茶ロールケーキ
じっくり煮詰めた渋皮栗、特製マロンクリームを濃厚抹茶スポンジ生地で包みこんだ秋限定ロールケーキです。 しっとりと口どけの良い口当たりに、抹茶のほろ苦さと栗の芳醇な甘味を堪能いただけます。
6. 明治維新から始まり、延暦時代へとさかのぼる
当日は神宮で神幸祭が行われ、ついで神幸の御鳳輦が出発して京都御苑へ、御所建礼門前で行在所祭を執行の後、参集の時代風俗行列と合流して建礼門前を出発、神宮に還幸され還幸祭が行われます。行列の順序は新しい時代の明治維新から順次古い時代に遡って延暦時代に至り、最後に弓箭組列の順で編成されています。
明治維新時代
維新勤王隊列
明治維新時代
維新志士列
江戸時代
徳川城使上洛列
江戸時代
江戸時代婦人列
安土桃山時代
豊公参朝列
安土桃山時代
織田公上洛列
室町時代
室町幕府執政列
室町時代
室町洛中風俗列
吉野時代
楠公上洛列
吉野時代
中世婦人列
鎌倉時代
城南流鏑馬列
藤原時代
藤原公卿参朝列
藤原時代
平安時代婦人列
延暦時代
延暦武官行進列
延暦時代
延暦文官参朝列
神幸列
神饌講社列
前列
神幸列
白川女献花列
弓箭組列