夏を迎える江戸の祭、三社祭

三社祭の賑わい
三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる浅草神社の例大祭です。5月の第三土曜日前後の金・土・日曜日の三日間に行われます。コロナ禍の影響で2020年以降、規模を縮小しての開催が続いてきましたが、4年ぶりに通常規模での開催となりました。東京の下町に初夏の訪れを告げる三社祭は、地元の江戸っ子をはじめ、国内外から集まった多くの見物客で賑わい、活気に溢れ、熱気に包まれます。
最終日早朝、本社神輿神幸祭が執り行われます。神社に奉納されている3基の「本社神輿」を担ぐ「宮出し」は、午前6時に始まり、浅草神社の境内から担ぎ出されます。華やかでかつ勇ましく「ソイヤ、ソイヤ」「オイサ、オイサッ」「サセ、サセ」などの威勢のいい掛け声とともに、神輿が町へ繰り出します。その後、神輿を担いで街中をめぐる「渡御」が行われ、浅草神社の氏子を中心とする、地元の氏子らの大きなかけ声とともに浅草の街を練り歩きます。雷門通りは、朝から夕方まで歩行者天国となり、各町会の神輿がひっきりなしに通る「お祭り広場」になります。日本を代表する祭りは、三日間で約百八十万人の人出を数えます。
浅草神社例大祭「三社祭」の開催日時や神事・祭事の詳細は浅草寺公式サイトまたは三社祭公式サイトで確認ください。

三社祭の由来は、神社が祀る3人の神様
浅草神社には3基の神輿があり、三社祭の祭礼では、一之宮には「土師真中知命」、二之宮に「檜前浜成命」、三之宮には「檜前竹成命」の御神霊を移し、町中を渡御します。このように、浅草神社は三柱の神様をお祀りしており、祭りの正式名称は「浅草神社例大祭」なのですが、浅草神社の旧名である「三社大権現社」または「三社明神社」の名残で、「三社権現」「三社さま」と呼ばれ、お祭りも「三社祭」なのです。
7世紀の628年、浅草の漁師桧前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり) 兄弟は、墨田川の漁で一体の観音像を網にかけました。この像のことを、地元の郷司土師真中知(はじのまつち)に相談したところ、ご利益のある観世音菩薩であると教えられました。兄弟は観音菩薩像にお祈りすると、翌日から大漁が続き、これを知った土師真中知が、自宅を寺にしてその観音像をお祀りしたのが、浅草寺の始まりです。その後、土師真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、「桧前浜成・竹成と、土師真中知を神として祀るように」とのお告げがあり、3人を祀り「三社大権現社」を建てたのが浅草神社の始まりです。
鎌倉時代の1312年、三社の神話では、「神社が祀る3人の神様が年に一度だけ 浅草寺の本堂で観音様と一晩を過ごした後に、 お神輿に乗って街の様子をご覧になる――」というご託宣から三社祭が生まれたといわれます。

長い歴史と地元、江戸っ子の活気
江戸幕府となると、徳川家康は浅草寺を徳川家の祈願所に定めます。3代将軍家光は神輿を寄進し、本堂を再建して、堂や塔も立派になり、幕府の庇護の下で、浅草寺は当時の庶民が多く訪れる地となりました。その後も浅草は、浅草寺や浅草神社参拝、芝居小屋などの娯楽の地として、大いに隆盛しました。浅草神社は江戸時代までは浅草寺と一体であり、三社祭も浅草寺の祭りとして行なわれていました。
明治になると神仏分離令により、浅草寺と浅草神社は切り離されました。三社大権現社は「三社明神社」に改称し、さらに、1873年に現在の浅草神社の名称になりました。明治に入って以降、浅草神社単体での祭りとなり、現在の三社祭に発展していきました。
浅草神社の神輿御輿はかつて7基ありましたが、全て戦災により一度焼失してしまい、現在の御輿は1950年に二基、1952年に一基が氏子から奉納されたものです。近年では祭り好きの人々が同好会を結成し、各所の祭りを担ぎ回るようになりました。
三社祭では、無形文化財「びんざさら舞」の奉納や「白鷺の舞」、「巫女舞」などを見ることができます。東京の下町は、江戸っ子を感じる街です。三社祭では氏子と観客が一体となり、暑さの中、祭りも益々熱くなります。

この夏開催、東京の祭り
江戸時代から長く続く祭りは、東京の文化です。東京の下町では、春から夏にかけて数多くのお祭りが開催されます。全国からたくさんの見物客が集まり、地元の人たちは祭りの到来で季節を感じるのです。桜の花見に始まり、夏祭り、花火大会と、東京ならではの、多くのイベントが開催されます。
江戸っ子の祭好きは、今も昔も変わりません。江戸時代に庶民文化の中で花開いた、祭りの華やかさは、さらに洗練され、今も息づいています。江戸時代からの歴史と、庶民に育まれた祭りを間近で見て、東京の文化を体験しましょう。
これから開催される東京の祭りの中でも、「江戸三大祭り」は、江戸時代から続く、東京の代表的なお祭りとして知られています。一般的な三つのお祭り(神田祭、山王祭、深川祭)をご紹介します。

天平年間(8世紀)創建とされる神田明神の大祭は、2年に一度、5月に開催されます。江戸から続く下町、現在の神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸ノ内など108氏子町に愛される「神田祭」は、江戸っ子たちが神輿を競い合う、一大イベントでもあります。


山王祭(日枝神社大祭)は、東京都千代田区にある日枝神社の祭礼です。期間中にさまざまな行事が行われますが、中でも見どころは「神幸祭」。王朝絵巻のような宮神輿や装束の巡行は、優美で格調高く、山王祭を代表する行事です。これが行われる大祭は2年に一度、神田祭と交互の開催になっています。

深川の富岡八幡宮の例祭は毎年8月15日前後に開催されますが、中でも見どころなのは、三年に一度行われる本祭の神輿渡御でしょう。町神輿の数は大小あわせて120基を超え、中でも53基の大神輿が勢揃いし、深川の町を練り歩く「連合渡御(れんごうとぎょ)」が町々を熱狂させます。