「三代使える」丈夫さと機能性が、南部鉄器の魅力

南部鉄器の原料は、鉄鉱石から取り出した鉄です。鉄鉱石は、鉄が酸素と結びついて安定した状態で存在していますので、この鉄鉱石を高炉や電気炉などで溶かして還元、つまり酸素を除いて取り出した鉄である銑鉄(せんてつ)が造られ、南部鉄器の原料になります。

南部鉄瓶はこうして出来上がる
鉄瓶をつくるには、まずデザインを決め、図面を描きます。次に、その図面をもとに木型を作り、素焼きの素材の円筒状の実型に鋳型の材料となる鋳型砂を入れ、木型を回転させ鋳型を作ります。
型挽:荒引き・中挽き・仕上げ挽きと、砂の荒さを3段階に分けて入れ、鋳肌を作ります。仕上げ挽きでは絹真土という、絹でしたとても目の細かい砂を使い、鉄瓶の表面の肌理が細かくなるようにします。
紋様押し・肌打ち:鋳型が乾燥しないうちに、絵杖絵引きというヘラのようなものや、霰押し棒を使って鋳型の内側に紋様を押したり、鋳型の肌に肌打ちをします。肌打ちの作業は、粘土を団子状に丸め、鋳型に軽く押していくことで表面に独特な味わいのある表情があらわれます。
型焼き:鋳型を完全に乾燥させたあと、約1300度の炭火で焼き固めます。
中子づくり:中子とは鋳型用の木型より少し小さい木型で挽きあげた型に、川砂と粘土を混ぜたものを詰めて、突き固め、この中子と鋳型の隙間の厚さが鉄瓶の厚みになります。
鋳込みの準備:鋳型に手で中子をはめ込み、鋳型を組み立てます。
フキ:鉄を溶解炉(キュポラ・こしき)で溶解し、それを鋳型に注ぎ込みます。こしきに風を送り、コークスと鋳鉄を交互に入れて1300度〜1400度まで熱し、鉄を溶かします。この溶けた鉄を湯と呼び、湯を鋳型に流し込むまでの一連の作業を「フキ」といい、鋳物を作る工程の中では一番華のある作業といわれます。
釜焼き:冷えて固まった鉄瓶を鋳型から取り外し、中子を壊して取り除きます。型の合わせ目にできたバリを取り、800度〜1000度の炭火で30分程蒸し焼きにします。この工程は釜焼きといい、酸化被膜をつけることにより鉄器を腐敗から守り、錆を防ぐ効果をもたせるものです。
着色・仕上げ:釜焼きを終えた鉄瓶の表面をヤスリ等で整えた後、鉄瓶を300度位に熱し、漆を焼き付けて下塗りをします。その後におはぐろ(酢酸鉄溶液に、お茶を煮出した汁を混ぜ合わせたもの)を塗って仕上げていきます。鉉にも本体と同じ着色を施して、本体に取り付けたら鉄瓶の完成です。

渡来した鉄器で変わる生活の歴史
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイト(現在のトルコ共和国のアジア部分)とされています。アナトリア高原では鉄鉱石からの製鉄法がすでされていて、炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、武器や工具を造り出して最初の鉄器文化を作り上げました。およそ3200年前、ヒッタイト帝国が終わり、古代オリエント世界は青銅器時代から鉄器時代に入りました。

世界に遅れること1000年後、今から2300年ほど前に、鉄や青銅でできた道具が朝鮮半島から伝えられました。この頃は水田稲作技術をはじめとして、さまざまな文物が日本にもたらされました。北部九州では鉄斧や鉄製鍬先や鋤先など農工具の鉄器化によって耕地開発が進みました。ただし、弥生時代の3世紀までに鉄器が普及していたのは北部九州地域に限られ、日本のその他の地域から出土する鉄器は僅かでした。鉄や材料は中国や朝鮮半島から、もっぱら輸入に頼っていたのです。 日本で純粋に砂鉄や鉄鉱石から鉄器を製造出来るようになったのは、たたら製鉄の原型となる製鉄技術が朝鮮半島から伝来した、6世紀の古墳時代と考えられています。
たたら製鉄とは、日本で古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称です。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できました。近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担いましたが、明治以降急激に衰退し、現在では、島根県の「日刀保たたら」などが稼働しています。
古墳時代後期以降は、鉄器が大量に副葬されることはなくなりますが、優れた金工技術で製作された武器・武具・馬具類が副葬されました。また、鉄の使用範囲が増加して、木棺の組み立てに鉄釘が使われる例がみられます。
製鉄遺跡は中国地方を中心に北九州から近畿地方にかけて存在し、7世紀以降は関東地方から東北地方にまで普及しました。日本においては鉄器と青銅器がほぼ同時に伝来したため、耐久性や鋭利さに劣る青銅器は祭器としての利用が主となり、鉄器はもっぱら農具や武器といった実用の道具に使用されることとなりました。
戦国時代の日本では、銃器の生産が普及し、生産量が爆発的に増加したため、生産性のいい砂鉄が採れる中国地方や九州地方への産地の集中が進みました。当時、鉄の精錬には木炭が使われましたが、日本の森林は再生能力に優れ、森林資源に枯渇することはありません。豊富な砂鉄にも恵まれており、鉄の生産量と加工技術では世界で抜きん出た存在になりました。

南部鉄器ブランドの発展の歴史
南部鉄器には、「水沢の南部鉄器」と「盛岡の南部鉄器」、それぞれの歴史があります。明治以降は双方ともに、「南部鉄器協同組合」の名称を用いているので、どちらも「南部鉄器」となります。
江戸時代までの水沢の南部鉄器
平安後期に、藤原清衡が近江国より鋳物師を招いて鉄器製造を始めました。北上山地の砂鉄、木炭およ北上川から出る質の良い砂と粘土などが手に入ることから鋳物業が栄えました。室町時代初期のは鋳物師が定住するようになりました。江戸初期に鋳物業を興した及川喜右衛門光弘という人が、中興の祖と讃えられています。以後、仙台藩の庇護を受け、鉄鍋、鉄釜を中心に、仏具なども生産し、幕末には大砲も鋳造しています。
江戸時代までの盛岡の南部鉄器
盛岡の鋳物は、江戸初期に南部氏が盛岡城を築城した頃に始まったといわれています。それからは、歴代藩主庇護の下、育まれてきた。藩の鋳物の受注は、日本各地から盛岡に移住してきた、有坂家、鈴木家、藤田家、釜師小泉家の4家がほぼ担っていたため、盛岡の南部鉄器の歴史となりました。

明治以降の南部鉄器
水沢・盛岡とも、仙台藩、盛岡藩の庇護の下、発展してきましたが、明治維新で衰退しました。しかし、生産と流通の体制が整い、展覧会にて入賞するなど名声が高まると、各地からの注文が増えてきます。さらに、東北本線開通により、一気に販路拡大となりました。
終戦後は、アルミニウム製品に押され、需要は減りましたが、近年では茶道具などの伝統工芸品のほか、実用的な調理器具としてもその良さが見直されてきています。食生活の欧米化に伴い、洋風料理に使用するものも増え、また海外ではその芸術性の高さから鉄瓶に人気が集まり、一部のメーカーは欧米への輸出にも力を入れています。

買う時、使う時には気をつけよう

お取り扱い上の注意
・急冷や落としたりしないでください。 割れやヒビの原因になります。
・本体・持ち手などの部分は使用中非常に高温となり、火傷をするおそれがありますので、必ず鍋つかみ等をお使いになり、直接手で触れないようにしてください。

オンラインモールで南部鉄瓶の偽物を判断する5つのポイント
・ 生産者やメーカーの名前をインターネットで検索しても表示されない
・値段が極端に安い
・説明文や質問への回答する日本語に違和感がある
・販売元の国を確認してJP以外と表示される / 販売者に発送元を質問して「日本以外から発送」と回答される
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