バレンタインデー、「恋人たちの日」の起源に驚いた

古代ローマの恋愛事情
バレンタインデー(St. Valentine’s Day・聖バレンタインの日)。 2月14日は、「恋人たちの日」として、お互いの気持ちを確かめ合う日ですが、バレンタインデーの由来は3世紀の古代ローマであった、家族や恋人への愛がきっかけです。古代ローマでは、2月14日は結婚の女神ユーノー(ラテン語: Juno)の祝日でした。毎年、ユーノーの祝日の翌日である2月15日から「ルペルカーリア祭(Lupercalia)」という繁栄祈願のお祭りが行われており、これがバレンタインデーの起源となったとされています。

ユーノーは、ローマ神話で女性の結婚生活を守護する女神で、主に結婚、出産を司る。 6月の「JUNE」はユーノーに由来し、ジューンブライドとして広まる。夫は主神ユピテル。

当時のローマでは、若い男と女は別々のエリアで生活していました。ルペルカーリア祭は名目上は繁栄祈願(清めの祭りでもある)のお祭りでしたが、実際は男女を結びつけるイベントが用意されていました。くじ引きで成立したカップルは、祭りの間パートナーとしていることと定められて、そして多くのパートナーたちは一緒に過ごし、そのまま恋に落ち、そして結婚することが慣習とされました。普段出会うことのない若い男女は、ひと目を気にせず交わり合っていたようで、まさに古代ローマの出会いパーティーでした。
313年にキリスト教が公認され、392年にローマ帝国の国教となった後も、ルペルカーリア祭は続きました。キリスト教にとって、古代ローマの神々を崇拝する異教徒のお祭りは目障りな存在となり、排除する流れが強まりました。5世紀末には、性的な乱れを助長し若者の風紀を乱す野蛮なお祭りであるとして、ローマ教皇ゲラシウス1世(Gelasius I、第49代ローマ教皇在位:492年-496年)によってルペルカーリア祭は禁止されました。しかし、ルペルカーリア祭は貴重な男女の出会いの場であり、1000年以上も続く大人気行事であることから、お祭りをただ禁止しても反発を招くことは明らかでした。
そこでローマ教会は、「男女を結びつける」という要素を残しながら、キリスト教的な行事を創設し、ルペルカーリア祭に融合させ、ルペルカーリア祭はキリスト教的な行事由来のお祭りであると解釈を変更し、そして496年に、2月14日は「バレンタインデー」と定められたのです。このようにして、キリスト教とまったく縁のない古代ローマのルペルカーリア祭は、キリスト教の政治的策略によりバレンタインデーとなりました。

聖人ウァレンティヌスの殉教
ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世(マルクス・アウレリウス・クラウディウス・ゴティクス、ラテン語: Marcus Aurelius Claudius Gothicus、在位:268年-270年)は、軍人皇帝としてローマ市民には人気がありました。統治は比較的堅実で、たびたび北方民族の襲来を破り、神として祀られていました。皇帝は、愛する人を故郷に残した兵士は士気が下がるとして、兵士たちの結婚・妻帯の禁止を命令していました。
ウァレンティヌス(ラテン語: Valentinus)はキリスト教の司祭でした。ローマ皇帝のキリスト教迫害のもとで、人々を助け導き、熱心に宣教活動を行いました。兵士たちの結婚を禁止した皇帝の命令に背き、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、内緒で結婚式を行っていたのです。やがて皇帝はそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令しました。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため捕らえられ、改宗することなく、信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられました。処刑は2月14日のユーノーの祭日に実施され、ルペルカーリア祭の前日があえて選ばれました。そして、ウァレンティヌスはルペルカーリア祭に捧げる生贄とされたのです。
その後、ウァレンティヌスは「聖バレンタイン」という聖人として、2月14日は聖人の死を悼む日となり、殉教の記念日としてキリスト教の行事の一つに加えられ、この日は祭日となり、恋人たちの日となったのです。

ローマ帝国皇帝クラウディウス2世
キリスト教司祭ウァレンティヌス 殉教者

ルペルカーリア祭の行事に解釈を変更
初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられます。ルペルカーリア祭は排除したくとも、ただ禁止しても反発を招くだけであるため、教会として、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけるために、殉教したバレンタイン司教の助けを借りて、ルペルカーリア祭を改めようとしました。こうして以前からあったルペルカーリア祭は、キリスト教のバレンタイン由来の祭りであるとして、祭りは続けました。以前に実施されていた「くじ引きでパートナーを選ぶという方法は野蛮である」という印象を与えるために、初期キリスト教会によって創作されたものかもしれない。
カトリック教会では、第二バチカン公会議(1962年-1965年)によって典礼改革が行われるまで、2月14日はウァレンティヌスの殉教の日として記念されていたのですが、ウァレンティヌスに関する言い伝えに史実の確認が困難であったため、現在は聖人暦からは取り除かれています。
※ちなみに、キリスト教由来ではないキリスト教の行事はバレンタインデー以外にもあり、ハロウィンやクリスマスツリーは古代の土着信仰や他宗教が起源となっています。

日本のバレンタインはチョコレート
バレンタインデーはもともと海外の行事でした。日本で最初に紹介されたのは、20世紀初めに神戸のチョコレートメーカー「モロゾフ」が、外国人向けの英字新聞に載せた「愛の贈り物としてチョコレートを贈りましょう」というチョコレートの宣伝でした。当時のカタログには、ハート型のチョコレート容器にファンシー チョコレートを入れた「スイートハート」、バスケットに花束のようなチョコレートを詰めた「ブーケダムール」が掲載されていました。
『1931年、神戸トアロードのチョコレートショップからスタートしたモロゾフ。日本ではまだチョコレートそのものが珍しかった時代に、本物のおいしさにこだわった高級チョコレートを世に送り出しました。芸術品のようなボックスに眠る美しいチョコレートは、当時の人々にとって、ドレスや宝石といった贅沢品と同じように、心ときめくあこがれの存在でした。
翌1932年、モロゾフは日本で初めて〝バレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介。「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした。』

1935年2月13日ジャパンアドバタイザーに掲載したバレンタインチョコレート広告

バレンタイン商戦はチョコレート
この当時は全く定着しなかったバレンタインデーでしたが、戦後に赤いハート型の箱入りチョコレートを販売するなど、モロゾフのバレンタイン戦略は業界から一目を置かれます。大阪の阪急百貨店では毎年の恒例企画になりました。こうして日本のバレンタインは関西から始まっていったのです。
関西に遅れた東京でも、メリーチョコレートカンパニーが、新宿伊勢丹で「バレンタインセール」を実施しました。バレンタインデーの知名度は、開始当初にはほとんどありませんでしたが、新聞や雑誌にたくさんの広告が出され、だんだんと一般的に浸透していきました。伊勢丹でバレンタインフェアが行われるようになると、70年代にはモロゾフに刺激された洋菓子メーカーや百貨店がバレンタインチョコレートの販売に力を入れるようになりました。
2月14日のバレンタインデーは、もはや日本の恒例行事になりました。バレンタインデーにチョコレートを贈る文化は、日本特有のものです。海外でもバレンタインデーにチョコレートを贈ることはあるけれど、海外の場合はチョコレートに限らず、カードや花束、お菓子などを恋人や家族、友達に贈ります。チョコレートが主役となるのは、日本ならではなのです。そのきっかけが「お菓子会社の宣伝」だったことに気付いている人もいるのでしょうね。

日本生まれの「ホワイトデー」の起源
ホワイトデーは、バレンタインデーから1か月後の3月14日に、バレンタインデーにチョコをもらった男性が、キャンディーやマシュマロなどを女性にお返しする日とされています。そもそも、バレンタインデーとは、世界の多くの国では「男女関係なく大切な人に花を贈る日」であることなのですが、日本だけは「女性から男性にチョコレートを贈る日」として広まりました。「プレゼントをもらったからには、きちんとお返ししなくては」と、日本男児の義理人情によって、バレンタインデーにチョコレートをもらった若い男性たちの間で、自然発生的に「お返し」の習慣が始まったそうです。それに目をつけた全国の菓子製造会社や販売店が販促のために始めたのが、ホワイトデー誕生のきっかけなのです。
では、なぜ「ホワイト」なの?。それは、「白は純愛のシンボルだから」であり、若い人たちにとってのバレンタインデーやホワイトデーは、さわやかな純愛を表すイメージに、「白」という色がぴったりだったのです。ホワイトデーというイベントが定着するまでには、さまざまな仕掛け人たちの努力がありました。それが世間に受け入れられたのは「プレゼントをいただいたらお返しをする」という日本人の習慣に、ホワイトデーがうまく馴染んだからなのです。
ホワイトデーが3月14日とされた理由は、単に「バレンタインデーの一か月後をお返しの日とすれば普及しやすいから」ということです。

ホワイトデーの由来についての3つの説

不二家の「リターン・バレンタイン」が由来だとする説
お菓子メーカーとして有名な不二家が「リターン・バレンタイン」という名前で始めた、バレンタインデーのお返しをするイベントがホワイトデーの由来だとする説があります。 その後不二家はお菓子メーカーのエイワと共同で1973年に「メルシーバレンタインキャンペーン」を行い、チョコのお返しにキャンディやマシュマロを贈ることを広めました。

石村萬盛堂の「マシュマロデー」が由来だとする説
マシュマロ菓子で有名な石村萬盛堂の社長が1978年、バレンタインデーのお返しにチョコマシュマロを贈ることを提案し、「マシュマロデー」としてキャンペーンを展開したのがホワイトデーの由来だとする説もあります。

全飴協の「キャンディを贈る日」が由来だとする説
全国飴菓子業協同組合(全飴協)がバレンタインデーのお返しにキャンディを贈ることを提案し、1978年に3月14日を「キャンディを贈る日」と定めたのがホワイトデーの由来とする説もあります。 その2年後の1980年3月14日に「ホワイトデー」として盛大なイベントが開催されました。