日本の温泉といってもいろいろなタイプがあり、必ず紹介されるような有名温泉は外国人にも人気です。その理由には外国語での情報が多いことやアクセスが良いことです。大きな温泉地は外国語の情報が充実しているところが多く、安心して出かけられるからでしょう。でも、近ごろの温泉好きな外国人は日本情緒あふれる温泉街と宿を求め、昔ながらの秘湯系温泉を訪れたりしています。しかし、人里離れたところにある温泉地ほど外国語が通じにくいために、外国人の訪問が困難なことが多いのは残念なことです。こうした環境の整備を図ることで、多くの外国人観光客の期待に応えらるといいですね。
1. 草津温泉
草津温泉(くさつおんせん)は、群馬県吾妻郡草津町にある温泉です。草津白根山の東のふもとに位置しています。毎分3万2300ℓ以上の自然湧出量は日本一です。古くから有馬温泉や下呂温泉とともに「三名泉」といわれ、 江戸時代後期以降の温泉番付の格付では、当時の最高位である大関(草津温泉は東大関)が定位置で、かつては、「草津の湯(くさつのゆ)」「上州草津の湯」「上州草津温泉」と呼ばれました。
「草津」の語源は、温泉の水質は硫化水素臭が強いがために、「臭水(くさみず、くさうず、くそうず)」また、「臭處(くさと)」と呼ばれており、地元では「草津」を「くさづ」と読んでいることが由来であるといいます。古くから薬湯と知られており、恋の病以外は全て効くと伝えられています。
湯畑(ゆばたけ)
温泉街の中心部に湧く源泉で、草津温泉のシンボルです。囲いの内側にある湯樋は、高温すぎる源泉水を冷ます施設で、湯の花も採集しています。自然湧出量は日本一を誇り、いつも湯けむりを舞い上げ、毎分4000リットル、1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しています。湯畑の周りは瓦を敷きつめた歩道、石柵、白根山をかたどった「白根山ベンチ」など湯上がりの散策が楽しめる公園となっていて、1975年(昭和50年)芸術家・岡本太郎がデザインと監修を受け持ったものです。現在では、草津温泉観光協会によって2つのライブカメラが運営されています。
西の河原(さいのかわら、にしのかわら)
温泉街西側の荒原地帯に湧く源泉で、一帯は「西の河原公園」として遊歩道などが整備され、気軽に温泉が湧出する様子を観察できるようになっています。町の西側にあることからかつては西の河原(にしのかわら)と呼ばれましたが、現在では西の河原を指して「さいのかわら(SAINOKAWARA)」とされています。ここには町営の「西の河原(さいのかわら)露天風呂」があります。
草津温泉街(くさつ おんせんがい)
湯畑のあたりを覆う湯煙から、強烈な硫黄臭が漂います。湯滝から音を立てて流れ、滝壷に落ちる緑の湯の光景に、「草津よいとこ一度はおいで」の草津節が聞こえてきます。温泉街を歩くと古風な日本情緒に溢れた旅館や土産ものの店が並んでいます。
草津温泉の温泉街は、「草津温泉」としての外国語表記は、道路標識等の国際化事業の一環として、2015年(平成27年)より旧来のローマ字表記「Kusatsu onsengai」から英語翻訳表記の「Kusatsu onsen town」に変更されました。日本全国の他の温泉街も同様に変更される予定にあります。なお、”onsen” は、2010年代には既に「日本様式の温泉」を指す用語として国際共通語化していたことから、ニュアンスの異なる英語 “spa” に置き換えることなく、英語 “spa town” に倣った「onsen town」が採用されています。
ちょいな三湯めぐり手形でおトクに温泉を楽しむ
草津温泉には、この基本の源泉以外にも個性豊かな泉質の温泉がいくつもあります。共同浴場の中で、大浴場や大型露天風呂がある代表的な共同浴場が「草津三湯」と呼ばれ、三湯全ての湯船が源泉かけ流しです。「ちょいな三湯めぐり手形」とは、この三湯の「御座之湯」「大滝乃湯」「西の河原露天風呂」に入れる共通券のことです。3つの温泉に通常料金で入る場合に比べ、割安の1,800円(大人・税込み)で楽しめます。有効期限がありません。各温泉施設の窓口で購入できます。
三湯めぐり手形に三湯のスタンプを3つ集めると「完湯認定証」がもらえます。草津温泉を満喫した証のようで達成感があって嬉しいですよね。
2. 城崎温泉
城崎温泉(きのさきおんせん)は、兵庫県豊岡市城崎町にある温泉です。平安時代以前から知られる長い歴史があります。7つの外湯のひとつ「一の湯」は、江戸時代には天下一の温泉だと賞賛され、「海内第一泉(かいだいだいいちせん)」と呼ばれました。有馬温泉、湯村温泉とともに兵庫県を代表する温泉でもあります。
城崎温泉では、旅館の中にある館内浴場を「内湯(うちゆ)」と呼び、まちの中にある公衆(共同)浴場を「外湯(そとゆ)」と呼びます。現在、外湯は「さとの湯」(休業中)、「地蔵湯」、「柳湯」、「一の湯」、「御所の湯」、「まんだら湯」、「鴻の湯」の7軒です。泉質はすべて同じですがそれぞれ建物の趣向やご利益が異なるため、さまざまな湯浴みを愉しむことができます。
城崎温泉の起源には諸説ありますが、その歴史は、約1300年前にさかのぼります。この地を訪れた仏教僧侶の道智上人(どうちしょうにん)が、難病の人たちを救うため1000日の間「八曼陀羅経(はちまんだらきょう)」というお経を唱え続けたところ、満願成就して霊湯が湧出し、城崎温泉のはじまりといわれています。
7つの外湯巡りを楽しみに訪れる人が多くいます。外湯の入浴は旅の予定に合わせて3種類の方法から選べます。
①各外湯で入浴料を支払う
(大人800円・子ども400円、さとの湯/大人900円・子ども450円)
②一日入浴券を購入する
(大人1,500円 子ども750円)
その日に営業しているすべての外湯に何度でも入浴が可能
③宿泊する旅館で受け取る外湯巡り券を使用する
つまり、外湯巡り券が発券される宿泊施設に滞在するか、1日入浴券を利用すれば7つの外湯に何度でも好きなだけ入ることが可能。城崎温泉は「外湯巡り発祥の地」とされています。
「城崎温泉」は、1300年以上も前に開かれた温泉地で、日本を代表する温泉街の風景が広がっています。浴衣に着替えて「カランコロン」と下駄を鳴らしながら、7つの外湯めぐりやまち歩きを楽しむことができます。「まち全体が⼀つの⼤きな温泉宿」と捉えるこの温泉街でのひとときは、きっと日本の良さが実感できるはずです。
城崎温泉の街並は、2013年に「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」に紹介され、2つ星を獲得したことをきっかけに、世界中で知られるようになりました。さらに、まち独自の本格的なインバウンドへの取り組みが進められ、外国人の観光客の方に特に人気を集めています。日本を代表する温泉街といえるその魅力は、温泉街の風情にあるでしょう。大谿川(おおたにがわ)沿いを浴衣姿でまち歩きを楽しむ人たちの姿が、魅力を際立たせ、城崎温泉らしさのひとつです。
温泉街の風情を守るため、多言語の案内板設置などは控えられていますが、公式サイトや観光案内所で配布のパンフレットなど多言語化が整っています。旅館やホテルは比較的部屋数が少なく、団体旅行よりも個人旅行向きです。海外からの観光客もアメリカやヨーロッパ、オーストラリアからの個人旅行者が多く訪れています。
古くから湯治客などの個人旅行者と多く接してきた経験から「まち全体を⼀つの⼤きな宿」という考え方は、「駅は⽞関」で「道は廊下」、「宿は客室」、「⼟産屋は売店」そして「外湯は⼤浴場」、「飲⾷店が⾷堂」としています。城崎温泉に来られた人をまち全体で大切におもてなしをしたいという心が込められています。
温泉宿とはその名の通り、温泉がある宿泊施設や、温泉場や温泉街にある宿のことで、「温泉を楽しむための宿泊施設」です。ただ寝るだけの場所ではなく、宿ごとに温泉、食事内容、スタッフのおもてなし、サービスに特徴があり、滞在そのものが「旅の体験」の一つになります。海外の一般的なホテルや、簡易宿泊のドミトリーとは違って、宿ならではのおもてなし、人とのふれあいが感じられるのも温泉宿の魅力です。
2013年頃から、本格的に外国人観光客の方を意識した取り組みをスタートした城崎温泉は、その際、街全体で「単に外国語の表記を増やすのではなく、たとえ片言でも向かい合って接客を行おう」を決めたといいます。こうしたインバウンドの対応によって、海外の人が好む外観や街並みの「日本らしさ」を、損なうことなく残されているだけでなく、街の人たちは積極的にコミュニケーションを取るようになり、今では言葉の壁を越えてフレンドリーに触れ合える雰囲気が作り出されているのです。
3. 黒川温泉
黒川温泉(くろかわおんせん)は、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉です。全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で、温泉地としては異例の二つ星で掲載されました。
田の原川(たのはるかわ)の渓谷の両側に24軒のこぢんまりとした和風旅館が建ち並びます。温泉街としては川の流れに沿って、東西に広がります。渓谷にある温泉地であることから収容人数は少なく、旅館組合の主導で統一的な町並みを形成する方策を採っているため、歓楽的や派手な看板がなく落ち着いた雰囲気を見せています。
黒川温泉では1986年(昭和61年)に黒川温泉観光旅館協同組合が「入湯手形」を導入しました。入湯手形は地元産のヒノキを輪切りにしたもので、裏面の3枚のシールを露天風呂の利用時に1枚ずつ渡す仕組みになっています。
2022年(令和4年)6月26日「露天風呂の日」から、温泉街にある飲食店や小売店も入湯手形の対象に加わり、3枚のシールのうち2枚は露天風呂の入浴用、残り1枚が入浴か温泉街にある飲食店や小売店で物品と交換できるものに変更されました。デザインも一新され温泉マークと「巡」の字を組み合わせたものに変更されています。
もともと阿蘇外輪山に位置する山あいのひなびた湯治場であり、旅館の経営体も20数軒で農家兼業でした。1964年に南小国温泉の一部として国民保養温泉地に指定され、「やまなみハイウェイ」が開通したことで一時的に盛り上がりを見せました。農業など異業種からの参入も含めて、現在も営業している旅館のいくつかがこの前後に開業しています。しかし、休日以外は客足は伸びず、温泉地でありながら湯を楽しむ客よりも、宴会客中心の状況が続きました。さらに、ブームは数年しか続かず、増築をした旅館の多くは多額の借金をかかえ混迷が続きました。
そんな時代でも1軒だけ客足の絶えない宿があり、それが黒川温泉の父ともいわれる後藤哲也の経営する新明館であり、現在の黒川温泉の骨子となっている宿泊施設です。
当時24歳の後藤は裏山に洞窟を掘り、そこへ温泉を引き洞窟風呂とし、あるがままの自然を感じさせる露天風呂を造りました。他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、噂を聞いた女性客が続々と訪れました。
後藤のテーマはただひとつ「自然の雰囲気」であり、現在の黒川温泉の共通理念となっています。自然を生かすには「露天風呂と田舎情緒」が黒川温泉のセールスポイントで、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策を練りました。試行錯誤の後、すべての旅館の露天風呂を開放し、1986年(昭和61年)、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施されました。さらに、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生みだし、宿には鄙びた湯の町情緒が蘇えらせました。
黒川温泉は、不便な山間部の地形や規模の制約という致命的な弱点を逆手にとって、その弱みを強みに転換し、近代化と拡張を続けてきた他の温泉地と逆行することで、成功を手にしたのでした。
街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室
いつしかこの言葉が黒川温泉のキャッチフレーズとなり、口コミはインターネットなどでも広がり、ゴーストタウン同然だった温泉街が人気温泉へと変貌を遂げました。1998年に福岡の旅行情報誌「じゃらん九州発」の人気観光地調査で第1位となると、全国の温泉経営者や旅館組合関係者がノウハウを見学、視察に訪れるようになり、温泉手形による湯巡りは全国至る温泉地で模倣されるなど、各地で同様の試みがなされています。
黒川温泉は、阿蘇の奥深い山間地に位置しています。阿蘇地域は、世界ジオパークや世界農業遺産に認定されるなど、豊かな自然環境や歴史に育まれた文化が今も息づく地域です。自然に調和した景観づくりと露天風呂を巡る「入湯手形」が評価され、年間約90万人の旅行者が訪れる温泉地となりました。1986年から推進してきた温泉地の景観づくりにより、2009年版のミシュランガイド・ジャポンでは2つ星の評価を獲得、そのほかグッドデザイン賞特別賞、第1回アジア都市景観賞など数多くの賞を受賞しました。
また「黒川温泉一旅館」という地域理念を掲げており、一つひとつの旅館が「離れ部屋」、旅館をつなぐ小径は「わたり廊下」、自然の景観は「宿の庭」と温泉街全体が一つの大きな旅館のように自然に溶け込んでいます。旅館は個々で競いながら質を高める一方で、知恵を出しあい温泉地全体の繁栄を志しています。
黒川温泉の原点は、日本人が持つ心のふるさとを失わず、なつかしい田舎の風景を、今に残していることです。第一世代から50年、手塩にかけて守ってきた黒川の自然と、自らの手でつくり上げた湯宿と、街並みへの原点回帰を常々自問しながら、第三世代は時代に流されない凛とした、強い黒川をつくっていってほしいですね。