歴史から見える人々の暮らし、暦と祭りの文化
今日の趣き-blog-
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目次
1. 川越まつりは、川越氷川神社の祭礼
2. 始まりは、徳川三代将軍家光の治世下
3. 山車の囃子台の豪華さと、川越まつり独自の個性
4. 山車の伝統的な囃子と踊りは、川越まつり最大のみどころ
5. 世界に知られる文化として、文化財に指定
6. 名産・川越のさつまいも
川越まつりは、毎年10月の第3日曜日とその前日の土曜日に行われる、関東三大祭りのひとつです。国の重要無形民俗文化財やユネスコ無形文化遺産にも登録されています。「蔵造りの街並み」や「時の鐘」など、古き良き日本の情緒が残る小江戸・川越は、 人気の観光地として日々にぎわいを見せています。
江戸の「天下祭」を今に再現した山車行事が特徴の、絢爛豪華な山車が町中を曳行します。川越藩主の松平信綱が、氷川神社へ神輿・獅子頭を寄進したのがはじまりで、川越十ヶ町の人々が神輿に随行するようになったといわれています。
小江戸(こえど)とは「江戸のように栄えた町」「江戸時代を感じさせる町」といった意味です。川越のほか、佐原(千葉県香取市佐原)、栃木(栃木県栃木市)が挙げられます。クローズアップされたきっかけは、1996年に開催された「小江戸サミット」です。
1. 川越まつりは、川越氷川神社の祭礼
川越まつりは、およそ370年もの歴史を持ち、川越氷川神社の秋の神事である「例大祭」を根源とするお祭りです。江戸の天下祭(神田明神、赤坂日枝神社の各祭礼の総称)の影響を強く受けて発展し、祭で曳行(えいこう)される山車の形も天下祭の流行を取り入れながら変化していきました。町内ごとに所有する豪華絢爛な29台もの山車が町を曳き回しします。氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県川越市宮下町にある神社です。この氷川神社と区別するため、川越氷川神社と称されます。
山車の上部には神様や歴史上の人物などをかたどった山車人形が乗り、個性豊かに赤や黒の漆や金箔で彩られています。精巧な人形を乗せた絢爛豪華な山車が、小江戸川越の象徴である蔵造りの町並みを中心に、町中を曳行します。昼には、芸者が男装して祭礼に参加したことが起源といわれる手古舞(てこまい、祭礼での山車を警護した鳶職のこと)の姿や、囃子方による演奏があります。夜の「曳っかわせ(ひっかわせ)」では、山車が出会い頭にお囃子と踊りの共演が見どころです。何台もの山車が辻で相対し、すれ違うさまは、そのスケールの大きさに、見物客を圧倒します。山車の曳方による提灯が夜の町に乱舞し、曳き手の威勢の良い掛け声や、観衆の声援が飛び交い、最高潮に盛り上がります。
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2. 始まりは、徳川三代将軍家光の治世下
川越まつりの始まりは、徳川三代将軍家光の治世下で、川越藩主の松平信綱が氷川神社に獅子頭や神輿等を寄進したことに始まります。寛永15年(1638年)の川越大火で川越城下の大半が焼き尽くされ、信綱の命による町の再興のためでした。慶安元年(1648)に「神幸祭」として、氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し、祭礼を奨励し、慶安4年(1651)から華麗な行列が氏子域の町々を巡行し、町衆も随行するようになりました。 この祭祀、祭礼が「川越まつり」の起源です。この伝統は370年以上にわたって受け継がれ、長い歴史を誇る祭りとなっているのです。
江戸と水運で繋がっていた川越は、絢爛豪華な江戸の祭りに追いつけ追い越せときらびやかな山車を作り、曳き廻し、華麗な様式を取り入れていきます。元禄11年(1689)にはじめて踊り屋台(車のついた舞台の上で日本舞踊を踊る)が出はじめ、この頃から都市の祭りとして整えられていったと思われます。新河岸川の舟運(しゅううん)による江戸との密接な経済交流に合わせて、江戸の天下祭といわれた、赤坂日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭の影響を受けながら、変遷を辿っていきます。天下祭が全盛期を迎えた文化・文政期に、川越十ヶ町の附祭(つけまつり、山車・踊り屋台・仮装行列など)は、全国に知られる大祭となっていきます。
文政9年(1826)の「川越氷川祭礼絵巻」には、神幸祭を先頭に列をなして川越城へ向かう笠鉾(かさほこ)形式の山車(出し)と踊り屋台などの附祭が克明に描かれています。この頃は、附祭として江戸の天下祭で禁止され、既に見られなくなった出し物と、当時流行していた出し物を同時に見ることが出来ました。現在は山車が町を練り歩きますが、山車をはじめとして、町ごとに趣向を凝らした出し物があったようです。
天保15年(1844)の「川越氷川祭礼絵馬絵額」では、すべての山車が一本柱形式に統一され、その頭上には人形をのせています。奉納した大絵馬には、そこでは附祭が省略され、山車、役員、鳶職、囃子連が登場するのみです。
3. 山車の囃子台の豪華さと、川越まつり独自の個性
明治時代に入ると、幕府政治がなくなり川越藩は消滅し、藩の保護は得られなくなりました。江戸と水運で繋がり、物資供給の中心地として栄えた川越の商人達は、その経済力を背景に、川越まつりを川越の町として、新たな出発をはかることとなりました。川越十ヶ町の附祭は次第に姿を消し、山車が祭りの主体となっていきます。明治以降の川越まつりの特徴は、江戸時代の天下祭の影響を残しつつ、正調の江戸流を伝えるとともに、山車の囃子台の唐破風(からはふ)屋根や囃子台が360度水平に回転する構造など、豪華さを取り入れた川越独自の個性としての川越まつりに、新たな形で発展していきます。
川越市内の「川越まつり参加の山車は29本」あり、他にも併催行事として祭に合わせて山車や屋台を曳き回す町内もあります。関東では数少ない山車の祭りで、山車の曳き回しと山車の舞台上での囃子の演奏がされ、山車の曳き回しの順路が決まった「巡行」ではないため、山車行列はなく、各町内が独自に山車の曳き回しを行っています。開催年毎に繰り出す山車は各町会がそれぞれ話し合いをして、今年は出す出さないを決めたり、あるいはそもそも三年に一度だけ出すという取り決めがある町があったりと、町同士のさまざまな調整があった上で決まることになっています。過去に2002年の「市制施行80周年」、2012年の「市制施行90周年」、2022年の「市制施行100周年」では、29本の山車が全台揃い踏みで曳き回されました。
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4. 山車の伝統的な囃子と踊りは、川越まつり最大のみどころ
川越まつりの山車は「江戸系川越型」と呼ばれ、豪華な装飾が施され、蔵造りの街並みを模した美しいデザインで覆われています。江戸時代の風情を色濃く残し、川越の文化や伝統を表現し、多くの人を感動に引き込む工夫が凝らされています。
山車の構造は二層の鉾(ほこ)と人形で形成され、上層には武将や将軍などの歴史的有名人のからくり人形が座り、折り上げ式のエレベーター構造で動かすことができます。さらに山車の上には360度回転する回り舞台があり、からくり人形があらゆる角度から見物客を驚かせてくれます。人形の動きや表情の変化は芸術作品であり、子どもから大人まで幅広い年齢層の観客を魅了しています。この伝統からくり人形ともいえる山車は、祭りの見どころです。まさに古来から伝わる日本の文化や技術の高さを物語っています。
曳っかわせとは、何台もの山車が出会い頭に、お囃子と踊りの共演が繰り広げられる光景です。笛や太鼓、鉦の生演奏とともに踊りが始まり、山車を互いに対峙させて盛り上がりの頂点へと導きます。夜間に行われる山車の舞いは、空高く提灯をひるがえし、祭りをより光の祭典として盛り上げてくれます。2台どころか3台、4台と山車が絡む交差点では、壮大な対峙が繰り広げられることもあるので、昼間だけでなく夜の迫力ある光景を楽しみましょう。
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5. 世界に知られる文化として、文化財に指定
川越まつりは、「川越氷川祭の山車行事」として平成17年2月、国の重要無形民俗文化財に指定され、「ユネスコ無形文化遺産」として平成28年12月に登録されました。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、言語や芸能、祭礼行事など、無形の文化遺産の保護を行う取り組みとして、無形文化遺産の一覧表の作成があります。世界遺産が自然や遺跡などから価値がある優れたものを選ぶのに対し、無形文化遺産の一覧表は世界に多様な文化があることを公開し、保護する目的で作成されます。
祭を彩る祭り囃子の調べ
山車の前部には囃子台があり、その上では囃子連による囃子、舞が披露されます。舞1人、笛1人、小太鼓2人、大太鼓1人、鉦1人の編成され、江戸の囃子の流れを汲み、伝承されてきたものです。
■王蔵流(おうぞうりゅう)
川越の南部、中台地区で発展。繊細かつ力強い演奏で知られ、地域の人々に深く愛されています。
■芝金杉流(しばかなすぎりゅう)
今福地区にて発展。独特のリズムとメロディーで聴いている観客を魅了し、祭りの雰囲気を一層盛り上げてくれます。
■堤崎流(つつみさきりゅう)
上尾市にある堤崎で発展。伝統的な要素を保ちつつも、新しい試みを取り入れることで、常に進化し続けています。
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6. 名産・川越のさつまいも
中川農園 江戸時代の寛永15年(1638年)頃より、川越中台にて代々農業を営んでいます。昭和35年からいもほり観光を始め、現在も9月から10月は幼稚園のいもほり観光を行っております。2004年からは川越いもの直売所を設け、毎年12種類ほどの品種を販売しております。(現在、個人のお客様のいもほり観光は行っておりません。)
栽培方法 土の中では多くの微生物がお互いのバランスをとって生きており、その「力」を借りてさつまいもも育ちます。私たちは土作りに力を入れ、よりよい環境を作れるよう努力しています。また小さな子どもたちが手や足を直接触れることを重視し、安全で環境にやさしい農業を行えるよう心がけています。
さつまいも4種
紅あずま(農林36号
濃赤紫色の外皮と黄色の肉で、早期肥大性、晩植適応性に優れ、耐肥性もあります。収量、食味とも極良ですが、掘り取り時期が遅れると、過肥大し条溝が出ます。植え付け後100~120日での収穫を目安とし、貯蔵性があまり良くないので、早目に消費する事を良いでしょう。焼芋、ふかし芋等に。
紅はるか(農林64号
いもの外観が優れる「九州121号」を母、いもの皮色や食味が優れる「春こがね」を父とする交配組合せにより(独)九州沖縄農業研究センターで育成されました。名前の由来は、食味やいもの外観が既存品種よりも「はるか」に優れることによります。
紅赤(べにあか
「川越いもの代名詞」とも「サツマイモの女王」とも称される「紅赤(べにあか)」。明治31年(1898)、「八房(やつふさ)」から突然変異した「とりわけ肌の鮮紅色なイモ」を発見し、これが「紅赤」となりました。現在まで120年以上も栽培されている貴重な品種です。
栗金時(関東83号
ほのかな甘みがあり、繊維質が少ないので、ほくほくしたおいもが好きな方に人気です。貯蔵性も良いです。高系14号の選抜育成で作られた「ことぶき」というお芋が「かんぱち」と呼ばれるようになり、関東で根強い人気を誇るお芋として定着しました。