外国人の多くが訪れる観光地「京都」、行きたい(1)

インバウンドの増加と、オーバーツーリズムへの課題
今日の趣き-blog-

本ページはプロモーションが含まれています。

 1. 清水寺
 2. 宇治平等院
 3. 鹿苑寺「金閣」
 4. 慈照寺「銀閣」

出典:モテナス日本

インバウンド増加によるメリットは、国内への経済効果であり、地域活性化です。日本の歴史や伝統文化、訪日中に体験した地域の魅力を SNS などで伝われば、地域を訪れる外国人観光客が増え、新たな雇用やサービスも生まれます。
外国人観光客との文化や風習の違いなどでのトラブルや、マナー違反などの風紀の悪化は、オーバーツーリズムとなり、インバウンド増加のデメリットです。また、決済方法や Wi-Fi 環境の整備、多言語化などの対応は、これらの環境整備に時間やコストがかかることが課題といえるでしょう。


1. 清水寺

清水寺(きよみずでら)は、京都市東山区清水1丁目にある北法相宗の大本山の寺院です。山号は音羽山。本尊は十一面千手観世音菩薩。正式には音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)といいます。西国三十三観音巡礼第16番札所です。

宝亀9年(778年)に、大和国の興福寺の僧、賢心(けんしん、後に延鎮(えんちん)と改名)は、今の清水寺の地である音羽山に至ると、滝行を行い、千手観音を念じている白衣の修行者、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会い、行叡居士は「後を頼む」といい残し、東国へ旅立ちました。行叡が観音の化身であったと悟った賢心は、千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置しました。これが清水寺の始まりです。

その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようと音羽山に入った坂上田村麻呂は、修行中の賢心に出会いました。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めたのですが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して自邸を本堂として寄進しました。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられ、戦いに勝利して、無事に都に帰った田村麻呂は延鎮と協力して本堂を大規模に改築し、毘沙門天と地蔵菩薩の像を造り、共に祀りました。以上の縁起により、清水寺では行叡居士を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけています。

「清水寺」の見どころ
1.京都観光の大定番スポット、「清水の舞台」
伝統工法「懸崖造り(けんがいづくり)」の格子状に組まれた木材同士が支え合い、耐震性の高い構造で、釘は使用されていません。
2.応仁の乱の後に再建された、朱色が美しい建造物「仁王門」
仁王像は鎌倉時代の作で、高さが3メートル65センチあります。
3.清水寺のシンボルであり続ける「三重塔」
塔内には大日如来像が祀られ、四方の壁に言八祖像、密教仏画や飛天・龍などが極彩色で描かれています。
4.人気のパワースポット「音羽の滝」
東山36峰に連なる音羽山から下りてきた地下水が3本の筧(かけい)を伝って滝壺に落ちています。
5.安産祈願の仏様を祀る「子安塔」
聖武天皇と光明皇后が御子の誕生を祈願し、建立されました。



出典:VELTRA旅行ガイド
出典:TRiP EDiTOR
出典:アマナイメージズ
出典:京都観光紅葉と桜の写真

音羽山 清水寺  公式サイト

出典:Ozmall

京焼 清水焼 湯飲み茶碗 湯呑茶碗 湯呑み茶碗 和食器 磁器製 5客 木箱 幽玄桜(ゆうげんざくら)


清水の観音様として平安時代以来多くの人々が参拝に訪れます。東山の音羽山を背に、仁王門、西門、三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれます。春の桜と新緑、秋の紅葉と、四季折々の美しさを背景にした清水の舞台と呼ばれる本堂(国宝)は、断崖の上にせりだし、市街地の眺望も最高です。見渡すと、15の堂塔(いずれも重要文化財)が建ち並びます。

東大路通の清水道交差点から清水寺までの約1.2キロの参道の坂道は清水坂といい、清水寺の正面へと続く、観光のメインストリートになっている通りです。坂の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ね、人通りの多さは圧倒的です。清水坂は道幅が比較的広いのにもかかわらず、世界各地から集まる観光客でしばしば大渋滞になります。その南、合流する五条坂も参道となっています。これらの参道が開けたのは近世以降のことであり、中世までは八坂の塔(法観寺)を経て産寧坂(三年坂)を南方向へ上り、左(東)へ折れるルートが参道でした。

清水寺から高台寺へと向かう京都らしい町並みが続く二寧坂(二年坂)からも、清水寺周辺からも見ることができる「八坂の塔」の正式名称は「法観寺」といいます。歴史の古さは京都でも屈指で、聖徳太子によって建立されたとも伝えられます。他の伽藍は応仁の乱で全て焼失し、このシルエットの美しい五重塔だけが残りました。内陣には五智如来が安置されています。

散策しながら京都らしい風景を楽しめます。


2. 宇治平等院

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市宇治蓮華にある単立の寺院です。山号は朝日山、宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理しています。

京都南郊の宇治の地は、源氏物語の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の左大臣源融が営んだ別荘だったものが陽成天皇、次いで宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、それが宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものです。

平等院の創建は、藤原摂関家が栄華を極めた永承7年(1052)のこと。お釈迦様の教えが衰退する「末法」の始まりの年と信じられ、極楽浄土への往生を願う浄土信仰が広がっていたことから、時の関白・藤原頼通が父・道長から受け継いだ別荘を寺院に改め、「平等院」と名付けます。
本尊・阿弥陀如来坐像をまつる鳳凰堂は、創建の翌年に落慶。正式には「阿弥陀堂」といいますが、左右対称の外観が翼を広げた鳥のように見えること、屋根の上に1対の鳳凰が据えられていることなどから、江戸時代の初め頃には「鳳凰堂」とよばれるようになりました。

平等院は、金色の鳳凰が輝く「鳳凰堂」が最大の見どころです。京都・宇治において、絶大な人気を誇る観光寺院です。平安時代に全盛を誇った藤原頼通によって極楽浄土を再現したといわれる平等院は、1000年近い歴史を経て、なお美しさが色褪せることはありません。
平安時代の藤原一族の名残と栄華を感じられる、貴重な文化遺産です。鳳凰堂の特徴は、まるで池に浮かぶように建てられた御堂が、さながら極楽に築かれた宮殿を思わせ、その美しさは見る者全てを魅了します。2014年に改修されたばかりの鳳凰は、金箔が施された創建時の美しさに近づきました。

出典:世界遺産 平等院
出典:土曜日は古寺を歩こう。
出典:平等院|木造阿弥陀如来坐像
出典:nippon.com

世界遺産 平等院

出典:エキテン

抹茶茶碗 赤楽茶碗 雪華紋 川崎和楽作 楽焼き

池の水面に浮かんでいるような優美な姿は、極楽浄土の宮殿さながら。極楽往生を願った平安時代の人々の思いが、現代の私たちにも伝わってきます。鳳凰堂前の阿字池を取り巻く庭園は、極楽浄土を地上に再現した「浄土式庭園」の最高傑作。春はサクラ・フジ、初夏は新緑、秋は紅葉と、四季折々に表情を変えて目を楽しませてくれます。

宇治は、全国的に有名な高級ブランド茶「宇治茶」の生産地の一つ。茶処、宇治には老舗のお茶屋さんが軒を連ね、それぞれに上質な宇治抹茶を使ったオリジナリティーあふれる抹茶スイーツを提供しています。

もちろん、お目当ては抹茶です。宇治市では、約800年前の鎌倉時代から宇治茶を栽培していたという歴史があり、日本最古の茶園として知られています。その昔から、宇治市はお茶の栽培に適した温暖な環境を持ち、お茶の発展に貢献してきました。今では、日本人だけでなく世界中の人々から愛されるようになった抹茶です。宇治市ではそんな歴史ある抹茶を楽しみましょう。

もっと宇治茶を好きになる
お茶にまつわるほぼ全てが楽しめるのが、宇治のいいところ。抹茶工場の見学では体験を、カフェやショップでは抹茶スイーツを忘れずに。
源氏物語(宇治橋)、源氏物語に思いを馳せる
紫式部の源氏物語、第三部の舞台は宇治市。宇治橋付近には古蹟やモニュメントがたてられ、源氏物語ミュージアムでは美しい展示が見られる。
京都宇治のグルメを堪能しよう
静岡の静岡茶や埼玉の狭山茶と並んで、日本三大銘茶としても知られる「宇治茶」。この宇治茶を原料としたものが「宇治抹茶」と呼ばれ、老若男女問わず多くの人々から愛されています。宇治抹茶の特徴は、口に入れた瞬間に感じる「渋み」とその後にやってくるほのかな「甘さ」、そして抹茶の味わい深い「コク」にあります。これらが宇治抹茶を原料としたスイーツやグルメに活かされています。


3. 鹿苑寺「金閣」

鹿苑寺(ろくおんじ)は、日本の京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院です。大本山相国寺の境外塔頭で山号は北山(ほくざん)。本尊は聖観音。建物の内外に金箔が貼られていることから金閣寺(きんかくじ)とも呼ばれ、正式名称は北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)です。

1397年に室町幕府3代将軍の足利義満が建てた「北山殿」をのちに禅寺に改装したもので、金色に輝く「金閣」がその中でももっとも有名です。金閣寺は、世界文化遺産にも登録されており、日本人観光客のみならず訪日外国人からも人気の観光スポットとなっています。

金閣寺の屋根の頂に、南を向いて立つ金閣寺の鳳凰の像が立てられた理由は、歴史的背景があります。鳳凰は中国を由来とする想像上の動物で、鳳凰の体はさまざまな動物を掛け合わせているといわれます。
鳳凰の体の全面は「麒麟(きりん)」、後部は「鹿」、頸は「」、尾は「」、背は「」、顎は「」、口ばしは「」にそれぞれ似ているといわれており、羽は5色です。中国では四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍)の一種とされており、人々に幸せや平和をもたらすといわれ、天皇が現れるときに姿を表すともいわれています。鳳凰がなぜ金閣寺にあるのかという背景は未だに解明できていません。

出典:臨済宗相国寺派
出典:鹿苑寺 – Wikipedia

金閣寺 | 臨済宗相国寺派

出典:[カエデ京都] 紅葉と伝統美を引き継ぐバッグ
出典:巨樹と花のページ

京線香 こころか 5種 線香 松栄堂


舎利殿は漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で、外観はキラキラと輝いており、日本のほかの寺と全く異なります。また、入場券のデザインも特別仕様になっており、お守りのようだと中国人に人気になっています。
日本庭園の中に建つそんな金閣寺の姿は、中国人のみならず、日本を訪れる外国人にとっても「The 日本」な風景。金閣寺を見ながら、観光客は「日本に来たんだなぁ~」ということを興奮とともに感じているようです。

金閣寺という呼び名の由来にもなっているこの舎利殿の内部は、三層の造りになっており、異なる三つの様式を組み合わせた建築は、当時としても斬新だったといわれます。
第一層は公家風の寝殿造の「法水院(ほっすいいん)」。法水とは、煩悩を洗い流す水を指します。平安時代の貴族の邸宅様式である寝殿造は、当時栄えていた北山文化の特徴の一つ。華やかな北山文化を垣間見ることができます。
第二層は鎌倉時代の書院造風武家造の「潮音洞(ちょうおんどう)」。海の音のように遠くから真実がやってくるという意味を持ちます。武家造は鎌倉時代の武家の住宅様式。鎌倉時代に栄えた西園寺家が所有していた名残が感じられます。
第三層は中国風の禅宗仏殿造である「究竟頂(くっきょうちょう)」。「究極」という意味が込められています。床は漆塗りですが、それ以外の柱や天井には金箔が貼られ、仏舎利が安置されています。
二層と三層は漆の上から純金の金箔が貼られ、3つの様式が見事に調和している金閣寺の舎利殿。屋根の上には金色の鳳凰(ほうおう)が輝き、その豪華さを余すことなく表現しています。2020年に屋根の改修工事が行われ、金色の輝きがより一層きれいになりました。

金閣は創建後、幾度も修理を行ってきましたが、昭和25年の放火により全焼しました。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』の題材となっています。現在の舎利殿は事件から5年後の昭和30年に復元されたものです。
舎利殿の他にも、当時考えられていた日本列島の形を模したとされる池泉回遊式庭園は、国の特別史跡および特別名勝「鏡湖池(きょうこち)」に映る金閣の姿も見どころのひとつです。
また、境内の数寄屋造りの茶席は、ここから眺める夕陽を浴びた金閣が美しいことから「夕佳亭(せっかてい)」の名がつけられました。
平成6年(1994年)世界文化遺産に登録されています。



4. 慈照寺「銀閣」

慈照寺(じしょうじ)は、日本の京都市左京区銀閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院です。大本山相国寺の境外塔頭。山号は東山(とうざん)。本尊は釈迦如来。観音殿(銀閣)から別名、銀閣寺(ぎんかくじ)として知られます。正式には、東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)といいます。

室町幕府8代将軍の足利義政が、北山山荘(金閣寺)を参考に建立しました。京都の侘び・寂びを象徴する建築や、色彩を抑えた境内が静かな気品を感じさせます。銀閣寺を代表する「観音殿(銀閣)」は二層構造の建築。初層は「心空殿」と呼ばれる住宅風様式、上層は「潮音閣」と呼ばれる禅宗様の仏堂で、金閣、飛雲閣(西本願寺)と共に京の三閣と呼ばれる国宝です。禅宗文化の影響を色濃く受けています。

錦鏡池を中心とする庭園には、さざなみを思わせる「銀沙灘(ぎんしゃだん 」と白砂が盛られた円錐型の「向月台(こうげつだい)」、美しい二つのアートがあります。これは観月のために作られたといわれており、銀閣寺を象徴する光景のひとつです。

下段の庭から山腹をのぼると「お茶の井」という、湧水のあふれる泉があります。これは、茶道や華道、建築や芸能に至るまで手厚く支援したという足利義政が茶の湯に使用した湧水で、現在もお茶会で使われているそうです。

観音殿(銀閣)と共に、国宝に指定されている現存する最古の書院造り「東求堂(とうぐどう)」の内部は春・秋の特別拝観時に見ることができます。
本来は義政の持仏堂(じぶつどう)で、「東求堂」という名は仏教の法語「東方の人、仏を念じて西方に生まれんことを求む」から名付けられたといわれています。堂内は阿弥陀如来、義政像、茶室、そして「同仁斉(どうじんさい)」と呼ばれる書院造の書斎から成ります。

出典:庭園情報メディア【おにわさん】
出典:癒し憩い画像データベース(238709)
出典:慈照寺東求堂

銀閣寺 | 臨済宗相国寺派

出典:銀閣寺 紅葉
出典:茶道体験 弦庵 – じゃらん遊び体験

茶道具 抹茶茶碗 重陽の節句 乾山写し 箆目 三彩菊 伊藤東山作


足利義政は足利義尚に将軍職を譲り、1482年(文明14)東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めました。当時は応仁の乱が終了した直後で、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な隠栖生活を送っていました。延徳2年(1490年)2月、同年1月に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を禅寺に改め、相国寺の末寺として創始され、義政の法号である慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。

鹿苑寺舎利殿(金閣)が文字通り金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔は貼られておらず、貼られていた痕跡もありません。上層は当初は内外とも黒漆塗でした。金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことです。万治元年(1658年)に刊行された『洛陽名所集』などの文献に「銀閣寺」の名前が見られます。

日本らしい奥ゆかしさ、じわっと風情を感じる「侘び寂び(わびさび)」といえば、銀閣寺ではないでしょうか。金閣寺と違って見た目は地味に感じるかもしれませんが、味わい深さがあるとても洗練された和がすみずみまで行き渡っている、そんなお寺です。
「わび(詫び)」とは、何かが足りない、欠けているような状態。「さび(寂び)」とは、盛りを過ぎた、老いたような状態を示します。この「わび・さび」を生み出した東山文化が、まさに銀閣寺そのものなのです。東山文化の東山とは銀閣寺が創建された場所に由来しています。

質素であり、静かで落ち着いた、でも味深い「和」を表現したこの銀閣寺は、日本が誇る美の形ではないでしょうか。
池や石、松の木が銀閣寺の雰囲気を引き立てます。歩いていてとても気持ちが落ち着き、清々しい気持ちになります。

東山文化を取り込んだ「銀閣寺」に派手さは無いが、侘び寂びを感じる荘厳な造りをしている。

「金閣寺」とは異なる魅力を持つ「銀閣寺」にも足を運び、「北山文化」と「東山文化」の違いを比べてみよう。