木工品、伝統は 森の恵みと 人の暮らしと ともに


身の回りの生活道具としての木工品
日本には森林が多く、良質の木材が豊富に産出されます。古来,こうした木材の特性を生かした生活用具をつくるために種々の技法が考案されてきました。板材を組み合わせて家具,調度類をつくる指し物(さしもの),回転運動を利用する轆轤(ろくろ)を用いて鉢や椀などをつくる挽き物(ひきもの),檜(ひのき)や,薄く削った杉などの片木板(へぎいた)をたわめて筒形にしてつくる曲げ物(まげもの),鑿(のみ)や小刀、カンナなどで木を刳り抜き彫って鉢などをつくる刳り物(くりもの)や彫り物(ほりもの)などの技法があります。
すでに縄文時代には,椀や高杯(たかつき)などの容器,櫛や腕輪などの装身具,丸木舟や櫂(かい),弓など多くの木製品が遺跡から出土しています。弥生時代には鉄製工具も普及し,木工技術に進展がみられ、古墳時代には渡来人により,飛躍的な技術の進歩がもたらされました。平安時代に入ると木工品の多くは塗漆され,蒔絵を描く公家調度が発達し、室町時代には武家調度としての逗子棚,黒棚が生まれ、江戸時代には各藩の殖産奨励により,各地に特色のある地域的産業がおこり、明治時代以降は美術工芸としての木工芸と,産業工芸としての木工芸がそれぞれに発展していきました。


樺細工
ヤマザクラの樹皮を用いて作られる工芸品を樺細工(かばざいく)といいます。樹皮特有の光沢を生かして木地の表面に張り、積層状に貼り重ねた樹皮を彫刻したもので、渋くて奥深な色合いがヤマザクラの樹皮の特有な美しさを表わし、伝統的工芸品として広く愛用されています。樺細工には、3つの技法があります。円柱の木型に経木と樹皮を巻き、熱した金ゴテでおさえながら貼り合わせる「型もの」は、茶筒のように筒型の製品を作る技法です。「木地もの」は、文箱やお盆など箱型のものを作る技法で、下地となる木に樹皮を貼ってゆきます。「たたみもの」は、磨いた樹皮を何枚も重ね貼りして厚みを出したのちに彫刻する技法です。 代表的な製品として茶筒・茶櫃等のお茶道具類、文箱、茶だんす、ブローチ、タイピンなどがあります。
樺細工の起源は、18世紀の天明年間に、武士、藤村彦六によって県北部の阿仁地方より技法が伝えられたのが、角館の樺細工の始まりとされています。当初は下級武士のための副業のようなものでしたが、角館を治めていた佐竹北家により大事に育まれ、印籠、眼鏡入、根付、緒締などの製作を手がけ、角館の地場産業として根付いていきました。明治以降は、有力な問屋が出現して販路拡張、製品の大量生産化、工具の改良などで安定した産業へと発展しました。秋田県では初めての伝統的工芸品の認定を受けてから今日に至るまで、優れた製品が生まれ続けています。


大館まげわっぱ
秋田音頭にも名物として謡われる『大館曲げわっぱ』は、17世紀後半に大館城主佐竹西家が、下級武士の副業として奨励し発展しました。領内の豊富な森林資源である秋田杉を利用して出来上がった製品は、関東や新潟などに流通していったのが大館曲げわっぱの産業としての発展につながりました。
木の加工品である曲物の起源はよくわかっていません。古墳時代につくられていたことは、各地に出土例があり、弥生時代晩期ごろという説もあり、秋田で縄文時代のものではないかという遺物も発見されています。神事・祭祀の道具といえる曲物には三方と柄杓があり、元々は神霊が宿ると信じられた容器として特別な意味を持つものだったのでしょう。
東北の厳しい環境で育った天然杉の柾目(木目)は弾力性に富み美しい木目が特徴で、薄く剥いで熱湯につけて柔らかくしたものを、型に合わせて素早く曲げて乾燥させ、桜皮で縫い留めをし、底面にはめ込み、ヤスリをかけて完成させていきます。明るく優美な木肌と整った木目、その優しくシンプルな自然の素材は現代感覚にもマッチし、優秀さは海外にまで知れ渡っています。


秋田杉桶樽
桶は柾目(まさめ)の材料を使い、短冊状の小幅の板を輪状に立てて並べ、竹たが・銅たが・真鍮たがなどで締め、木底をはめた器で、おひつ、飯切りなどのように固定した蓋のないものです。 樽は板目(いため)の材料を使い、酒樽のように固定した蓋がついたものです。丸太の中心から半径の線に沿って木取りする柾目の板は、水分をよく吸収する性質があり、貯蔵を目的としない風呂桶、手桶、鮨桶などに使用し、耐久性・抗菌性のあるフノキやサワラが使われます。一方、丸太の年輪を切断するように木取りした板目の板は、水がしみ出したり、蒸発しにくい性質があり、酒や醤油の貯蔵を目的に作られ、日本酒にはスギが使われます。このように、木材の樹種と柾目・板目の性質を利用しています。
秋田杉を使った桶樽の歴史は古く、秋田城からは平安後期と推定される桶が見つかっています。17世紀の項に桶が使用されていたこと、値段の公定を図って酒樽の升目を一定にするよう求めたという記事が記録されています。このように佐竹藩の保護のもとに大量生産されてきました。明治に入ると更に生産量が増え、酒樽、醤油樽、すし桶、漬物桶など、全国的に需用がのびました。その後、プラスチック製品に押されながらも、新しい用途の開発を進め、インテリア商品まで幅広く製造されています。秋田杉桶樽の木のぬくもりは生活に潤いと豊かさを与えて、暮らしの中で役立っています。


箱根寄木細工
寄木細工とは、その名の通り「木を寄せ集めて」つくる工芸品のことです。種類の多い木材の、それぞれが持つ異なった材色や木目を生かしながら寄せ合わせた精緻な文様の種板(たねいた)を、特殊な大鉋(おおかんな)で薄く削り、シート状にしたものを小箱などに化粧材として貼っていく「ヅク貼り」と、種板そのものをろくろでくり抜いて加工する「ムクづくり」が箱根寄木細工の特徴です。
以前は箱根山系の木材を使用していましたが、国立公園になったことで伐採することができなくなりました。現在は日本国内の様々な地域から木材を購入しています。外国からの輸入材を購入することもあります。
江戸時代後期、畑宿という小田原と箱根の間にある宿場町で、寄木細工は生まれました。 畑宿の石川仁兵衛が、木の種類が豊富な箱根の山の特性に着目し、色や木目の違うさまざまな木を寄せ合わせてお盆や箱を作ったのが始まりだとされています。東海道が整備され旅人が増えると土産物としても人気となりました。また、木工を生業とする職人も多かった為、明治時代には複雑な文様(模様)が作られるようにもなりました。現在まで技術継承がなされ、箱根・小田原地方が日本では唯一の産地です。


南木曾ろくろ細工
南木曽ろくろ細工(なぎそろくろざいく)は、長野県にある南木曽町の周辺で作られている伝統工芸品です。ろくろ細工とは、輪切りにした原木を、ろくろの上で回しながら、カンナで挽いていき白木製品と呼ばれる木工品を削ります。手仕事によって行われ、高度な技術をもった木地師(きじし)と呼ばれる職人によって作られます。南木曽ろくろ細工の特徴は、このろくろ細工によって生み出される木目を、自然の美しさをそのままに引き出している点です。木地鉢、茶櫃(ちゃびつ)など、木の木目や木質、全体の雰囲気など、木によって作る製品を決めています。南木曽という豊かな森林から採れる名木が親しまれています。木曽谷に育つケヤキ、トチ、センノキ、カツラなど木目の美しい広葉樹をろくろで挽き、特産として盛んに作られてきました。
ろくろ細工は近江(現在の滋賀県)が発祥の地とされ、ろくろ細工の職人である木地師たちが南木曽にもやってきたことで、南木曽工芸品は有名になりました。その後、木地師たちが集まった集落ができて、木地師の里と呼ばれ、近代化の流れとともに、現代では電動ろくろを用いて作業することが一般的となりました。


宮島細工
宮島細工(みやじまざいく)は、広島県廿日市市宮島町で作られている木工品です。宮島は、古くから「神の島」と伝えられ、廿日市市は木材の集積地でもあることから材料の入手がしやすく、木工細工が発展しました。宮島細工の特徴は木目の美しさにあり、水に濡らしてわざと木目を立たせて磨く丁寧な仕上げ工程が施されています。宮島細工の特長は木目の美しさにあり、ろくろ細工による丸盆などの挽き物、木地を削り出す角盆などの刳り物(くりもの)、そして手彫りで厳島神社など描き出す宮島彫りなどがあります。
宮島細工の始まりは江戸時代の終り頃です。 厳島神社建設のために、鎌倉・京都から宮大工や指物師が招かれ、その技術をくむのが宮島細工です。ろくろを使った丸盆や茶托などの木製品や、 木製品の表面に装飾として彫られる彫刻技術の写実的な美しさは評判となり、宮島彫りと呼ばれるようになりました。宮大工や指物師のろくろや彫刻の技術によって、宮島で発展した木工技術は隆盛を極め、芸術の域まで高められました。