年神様をお迎え、おせち料理

「御節(おせち)」の由来
元日は一年のスタート、新たな年を迎えるめでたい日です。一年の節目となる日を節句として、桃の節句や端午の節句など、お祝いの節句の中でも、格別の節句として、お祝いの行事が催されています。元日は年神様をお迎えし、一年の豊作と家族の安全を祈願します。三が日の間は、神様をお迎えしているため、炊事をしないという風習から、日持ちのする料理を年末に作っておいて、三が日の間はそれを食べる慣わしがあります。
季節の変わり目など、祝いを行う日を「節日(せちにち)」といいます。中国の唐の時代に、一年を竹のように節で区切って特別な日を「節」と呼んでいたのを、日本も倣ったといわれています。古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦で、伝統的な年中行事を行う季節の節目(ふしめ)となる日です。そして、食物を与えてくださったことを神様に感謝し、神様や神棚にお上げする供物のことを神饌(しんせん)といい、「節供(せちく)」と呼びました。おせち料理の「御節(おせち)」は、この「御節供」が略されたものであるとされています。

おせち料理の起源は弥生時代
その後、節供(節句)は「節句の日」という意味に変化していき、江戸時代には中国から伝わった暦の上の風習のうちの五つが公的な行事として五節句が定められました。日本の行事は自然の草木花と深くつながり、季節の彩りや実りを生活に取り入れられたため、節句も、一月七日「人日(七草の節句)」、三月三日「上巳(桃の節句)」、五月五日「端午(菖蒲の節句)」、七月七日「七夕(笹竹の節句)」、九月九日「重陽(菊の節句)」名付けられています。
このように御節(おせち)の名前の由来とされている「御節供」は五節句の節日に神様に供えるもの(神饌)であったと考えられており、御節(おせち)は神饌に由来しています。節日には、神様に供えたもの(神饌)を家族で食する会が催され、それぞれの季節の節日に出された食べ物をおせちといっていたが、現在では、正月料理だけをおせちといっています。
元旦に、各家庭の一年の幸福をもたらすために、高い山から降りてくる神様が「年神様」であり、田の神、山の神でもあります。「正月様」「歳徳神(としとくじん)」とも呼ばれています。年神様は祖霊神であるから、五穀豊穣、長寿、無病息災、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの祈りを込めて、おせち料理には山海の幸を盛り込んでいます。
おせち料理の起源は、弥生時代まで遡ります。 稲作が縄文時代の終わりに中国から日本に伝来し、弥生時代にかけて広まったことで、狩猟中心の社会から農耕中心の社会へと変わりました。 中国から「節」を季節の変わり目とする暦が伝わり、神様に自然の恵みや収穫に感謝して、「節供」といわれるお供え物をする風習が生まれました。 狩猟によって食糧を調達していたときよりも、安定した食糧が得られるようになり、余剰文化を生み出した背景になりました。 新米、あわ、きび、海産物などが御節料理として供えられ、おせち料理の原型となりました。

平安時代の行事である五節会
おせち料理の習慣がいつうまれたかについては諸説ありますが、一般的には平安時代が有力だといわれています。 平安時代の宮中では、元旦や五節句の節目に、無事収穫できた作物への感謝を込めて神様にお供えをして、「節会(せちえ)」という宴を開いていた。 それが由来となり、平安時代の宮中で「おせち料理」が生まれたといわれています。おせち料理はもともと「今年も豊作でありますように」という祈りを込めて、神さまに捧げていたものです。
祝い肴には五穀豊穣、不老長寿、子孫繁栄といった新年に願うべき思いが込められていることから、おせちの必須料理となりました。そもそも、平安時代はおせちを正月料理として食べていたのではなく、五節句の行事である五節会(ごせちえ)のお祝いの料理として食べており、御節供と呼んでいました。
おせちは朝廷の祝い料理でしたが、江戸時代になると一般の家庭にも広まり、その中でも、新年を迎えるお正月の節句料理が特にめでたい日として、格別の祝いの節句とされました。元日には年神様をお迎えし、一年の豊作と家族の安全を祈願し、お正月に食べるものをおせち料理と指すようになりました。江戸時代後期には、現在のように食材ごとに意味が込められるようになり、大晦日におせち料理を作り、お正月に家族が集まって一緒に食べる習慣は江戸時代末期には日本の家庭の風習になったのです。

おせちは栄養満点、日持ちな料理
おせち料理の基本といえる「祝い肴三種」というものは「三つ肴」とも言い、これは 完全を意味する「三」に通じている。おせち料理に欠かせない3品のことで、一般に関東では黒豆・数の子・ごまめを、関西では黒豆・数の子・叩き牛蒡を指しています。関東がごまめ、関西が叩き牛蒡といった相違があります。それぞれの食材には、家族の健康と幸せを願うおめでたい由来があります。
おせち料理の特徴、まず一つ目は「日持ち」することにあります。正月は、五穀豊穣と無病息災の神様「年神様」が家にやってきて、一年の豊作と家族の安全を祈願します。三が日の間は、神様をお迎えしているため、煮炊きを控えて物静かに出迎える意味で、炊事をしないという風習から、日持ちのする料理を年末に作っておいて、三が日の間はそれを食べる慣わしになっています。
これは、「お正月の間、料理をせずゆっくり家族で過ごすため」、「正月にお店が休みになり、食材が手に入らなくなることに備えるため」、「年神様を迎えるにあたり、音を立てることや火を使うことを慎むため」など、いろいろな理由が考えられています。重箱の中にはたくさんの料理が詰められ、神様に供物をささげて祈る正月の三が日を過ごすため、日持ちのする料理を年末にたくさん作ることになるのです。
二つ目の特徴は「おめでたい」ことで、縁起のかつぎ方は様々あります。鯛は「めで鯛」などのいわゆる「語呂合わせ」もあれば、かまぼこは半円が初日の出を連想させ、海老は腰が曲がるまで長寿となるように願いが込められました「見た目」による縁起かつぎもあります。そもそもおせち料理の器となる「重箱」も、祝い事が重ねてやってくるように、という意味があります。
そして、三つ目が、これらの品々が揃ったおせち料理は、山の幸あり海の幸ありで栄養のバランスも良いのが特徴です。身体に良いとして世界的に有名な「和食」、その総決算が「おせち」といっても過言ではありません。

おせち料理に込められた願い
今のようないわゆる「おせち料理」が生まれたのは江戸中期以降といわれています。おせちの中身の各料理の「食べる意味」とは、それぞれに縁起物としての意味があるからで、様々な正月の行事と同じように、五穀豊穣や無病息災、子孫繁栄などを願う想いがおせち料理には込められています。「おせち」は漢字で記すと「御節」となり、いつしか「おせち」になり、正月の節句料理の「おせち料理」として使われるようになりました。そんな料理について紹介していきましょう。

「まめ」という言葉には、「元気、丈夫、健康」、「まじめ」という意味がある。まめに働き、まめに暮らせるように…という願いが込められています。
黒豆は薬膳では「長寿の食べ物」として、黒色の食材は「腎」を強くする働きがあります。「腎」とはカラダを支える5本の大黒柱「肝」「心」「脾」「肺」「腎」のひとつで、「腎」が強く、成長や発育が進み老化のスピードがゆるやかになり、また免疫力や自然治癒力も強くなり元気で健康なカラダを保ちます。

栗きんとんは黄金の財宝になぞられ、金運に恵まれる豊かな一年を…という願いが込められる。栗は「勝ち栗」といわれ、縁起が良いものです。
薬膳の世界では栗を剥いた形は人間の脳の形に似ていることから「頭を良くする食べもの」として昔から親しまれています。勉強など頭をフル活用して疲れたときにとってもよいでしょう。

昆布は、養老昆布(ようろうこんぶ)という名の語呂合わせから「喜ぶ」お祝いの縁起物で、また同時に、「子生(こぶ)」というあて字から、子孫繁栄の願いも込められています。昆布も黒豆同様に黒い長寿の食べものとして薬膳の世界では昔から親しまれています。おせち料理にも、昆布巻きだけでなく子持ち昆布や煮しめ、結び昆布などたくさん登場しています。昆布には頑固なむくみのようにカラダに溜まり凝り固まった余分な老廃物をやわらかくほぐして体の外へ押し流しやすくするといわれています。

海老は長いひげや曲がったその形から、長いひげをはやし、腰が曲がるまで長生きできますように…という願いが込められている、まさに長寿の縁起物のひとつです。
海老は他の食材同様にカラダの土台である「腎」を強くする働きがあるといわれており、滋養強壮食材です。
薬膳の世界では疲れたときには海老料理を食べ、カラダを温める働きを助けるといわれていることから、寒い冬にカラダが冷えて疲れたのを和らげます。

ぶりは成長によって名前が変わる出世魚であることから、立身出世の願いが込められいます。また「寒ブリ」は、お正月をはさむ12月~1月に旬を迎えます。この時期は脂も一番のって栄養価も抜群です。薬膳の世界でも冬にブリは欠かせません。
ブリは「元気」「栄養」「潤い」のカラダに重要な三つを補う働きを助けるといわれ、私たちをバランスの良い健康なカラダへと導いてくれます。さらに胃腸を元気にする働きを助けるといわれており、健康長寿を願うおせち料理にもやはり欠かせません。

新年の乾杯に欠かせないお屠蘇(とそ)は「邪気を屠り、心身を蘇らせる」というのがお屠蘇のいい伝えです。家族の健康長寿、無病息災を願う気持ちが込められています。
お屠蘇は「薬草酒」で、正式には屠蘇延命散といい、「延命」の名のごとく長寿を願う縁起の良いものです。胃腸を元気にする生薬や、カラダを温める生薬などが配合され、年末年始に疲れた胃腸をねぎらい寒い冬に備えた準備をするという意図が込められています。お屠蘇はお酒につけて薬酒にするのが慣例です。

おせち料理は「作るか?」「買うか?」
おせち料理を「作るか?」「買うか?」「どこで買うか?」は変化しても、「お正月におせち料理を食べる」という文化自体はなくならないのでしょう。
おせち料理には、「日々の恵みに感謝し、未来への祈願をこめる」「年末年始を豊かに、快適に過ごす」というふたつの意味があります。しかし、今日では「年末年始を豊かに、快適に過ごす意味」では、おせち料理は必ずしも必要ではなくなってきています。年中無休のスーパーは少なくなく、外食をする場にも困らないし、お正月を祝う豪華な食事なら、おせち料理以外にもたくさんあります。
それでもおせち料理を食べる習慣がなくならないのは、私たちの中のどこかに「日々の恵みに感謝し、未来への祈願をこめる」というおせち料理の意味を尊重する気持ちが根付いているからなのでしょう。そして、その伝統を引き継いでいきたいという気持ちを持つ人も少なくありません。「おせち料理の習慣くらいはをくずしたくない」という声はよく聞くし、子どもがいる人の中には、「作る過程を子どもに見せたい」という意識を持つ人もいます。
「やっぱりお正月にはおせちが食べたいな」と思わせる一番の原動力になっているのは、家族が集まっておせちを囲む、お正月の記憶なのではないでしょうか。「これがおいしい、あれはおいしくない」「これにはこんな意味がある」などと言い合いながら、家族と過ごした時間や、母や祖母と台所でわいわい準備した時間の記憶が、おせち料理を作らせたり、買わせたり、「食べたい」と言わせたりしているのではないかと思います。一人ひとりの記憶の積み重ねが、文化をつくり、伝統を受け継いでいくのでしょう。