弘前城(ひろさきじょう)
陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にある日本の城。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。例年、4月下旬~5月上旬に開催される「弘前さくらまつり」が、秋には「弘前城菊と紅葉まつり」が、冬には「弘前城雪燈籠まつり」が開催される。
松本城(まつもとじょう)
信濃国、現在の長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡筑摩野松本)にある日本の城。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。国宝に指定されている天守の築造年代は文禄2~3(1593~4)年と考えられ、現存する五重六階の天守としては日本最古の城、珍しい連結複合式天守は白い漆喰と黒い漆塗りで彩られた外観が美しく、背景にある北アルプスの山々によく映える美しい城としても有名だ。松本城は、松本の街のシンボルであり、市民の心の拠りどころでもある。
丸岡城(まるおかじょう)
越前国、現在の福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の城。別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。小高い独立した丘陵に築かれた平山城で、近世に山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていた。安土桃山時代に建造されたと推定される天守は重要文化財に指定されている。丸岡城天守を取り囲むように園内には400本のソメイヨシノが植えられ、「日本さくら名所100選」に認定されており、4月には城下で丸岡城桜まつりが行われる。
犬山城(いぬやまじょう)
尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」(愛知県犬山市(旧丹羽郡))にあった日本の城。天守のみが現存し江戸時代までに建造され、国宝指定されている。木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名は白帝城。室町時代の天文6年(1537年)に織田信長公の叔父である織田信康公によって建てられ、戦国時代、織田氏、池田氏、石川氏と城主はめまぐるしく変わり、江戸時代に尾張藩付家老の成瀬正成公が城主となり、平成16年に公益財団法人 犬山城白帝文庫に移管されるまで、全国で唯一個人所有であった。
彦根城(ひこね じょう)
近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)にある城。平山城(標高50m)であり、山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれ、国宝に指定された。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。約20年の歳月をかけて建設され、1622年に完成した。築城当時のままの姿を残していることから、テレビや映画のロケも盛んに行われている。天守前広場や彦根城博物館で毎日のように行われている「ひこにゃんショー」は大人気で、ひこにゃんに会いたい子どもも大人も駆けつけている。
姫路城(ひめじじょう)
播磨国、現在の兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)リストにも登録され、日本100名城などに選定されている。白漆喰で塗り込められた外観が、まるで羽を広げる白鷺の群れに見えることから、別名は白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)とも呼ばれ、親しまれている。築城以来、大きな戦災を受けず、大天守や小天守、櫓などおおよそ100棟近くの建築物が現存していることから、「不戦・不滅の城」と呼ばれている。
松江城(まつえじょう)
出雲国、現在の島根県松江市殿町にあった江戸時代の日本の城。別名千鳥城。国宝に指定されている。城の外壁は大部分が黒塗りの下見板張り。外層5層、内部6階で、城内には松江の街や城の関連資料が展示され、最上階は望楼式になっていて、松江市街地や宍道湖など360度展望でき、眺望は格別。四季の彩りに、黒い天守閣がよく映え。天守閣の最上部の屋根にあるシャチホコは、木彫りで銅張り、高さは約2mもあり、これは現存しているモノでは最も大きいもの、山陰随一の名城として広く全国より観光客を集めている。
備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)
備中国、現在の岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名高梁城(たかはしじょう)。混同を避けるため、一般的には備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)と呼ぶ。日本100名城の一つで重要文化財に指定される。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である。臥牛山(がぎゅうざん、がぎゅうさん)山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っている。9月下旬から4月初旬(とくに10月・11月)には雲海に包まれる幻想的な姿を見ることもでき「天空の山城」とも形容され親しまれている。
丸亀城(まるがめじょう)
讃岐国、現在の香川県丸亀市にある日本の城。別名、亀山城(かめやまじょう)、蓬莱城(ほうらいじょう)ともいう。亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式(江戸城・姫路城と同形式)の平山城である。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル、全国に現存する木造天守十二城の一つ。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描き、この白亜の三層三階の木造天守は国指定重要文化財に指定されている。
松山城(まつやまじょう)
伊予国、現在の愛媛県松山市に築かれた日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。天守は江戸時代後期に再建されたもので、現存十二天守の中で最も新しい。松山市の中心部、標高132mの勝山に築かれた松山城。安政元(1602)年に再建落成した天守は、三重三階地下一階の層塔型天守という様式で、江戸時代最後の完全な城郭建築である。
宇和島城(うわじまじょう)
四国の伊予国宇和郡宇和島(現在の愛媛県宇和島市丸之内)にあった日本の城。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている。別名鶴島城。リアス海岸地帯の最深部、市街地のほぼ中央に位置する標高73mの丘陵にあり、慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となった。その後、慶長20年(1615)に伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領して宇和島城へ入城、ここに宇和島伊達家が誕生し、”伊達十万石の城下町”と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた。
高知城(こうちじょう)
土佐国、現在の高知県高知市にある日本の城。瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)とも呼ばれる。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門等が現存する。城跡は国の史跡、重要文化財に指定されている。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め、三層六階の天守閣や追手門などを整備した。