恵比須様は商売繁盛の神様
関東地方の「二十日えびす」
関西地方の「十日えびす」
商売繁盛で笹持って来い!
七つの災難から、七つの福が生まれる
七福神と神無月の留守神
恵比須様は商売繁盛の神様
えびす講は、年中行事として「えびす様」を祀る庶民信仰の行事です。「講(こう)」とは、えびす様を信仰する人たち、信者の集まりのことで、「えびす」の文字は、恵比須をはじめ、恵比寿、恵美須、戎、夷、蛭、蛭子、胡子など、さまざまな漢字で書き表されます。関西地方では「戎」、広島では「胡子」と書くのが一般的で、「えべっさん」と呼ばれて親しまれています。
恵比須様は、もともとは海の安全を守り豊漁をもたらす神様として、漁師たちに篤く信仰されていました。昔から、「エビス」とは「異邦人」を意味する言葉で、砂浜に打ち上げられたイルカやクジラを「エビス」と呼び、豊漁を願って祀っていました。この「エビス」がいつしか神話の神々と融合し、「恵比須様」という神様になったといいます。魚市場などでの商いを通じて商売繁盛を祈願する神様となり、農業神として五穀豊穣を祀る神様となって、各地域の漁業・商業・農業の従事者が集団で祭祀する行事となっていきました。
えびす講が行われる日は地域により異なり、10月20日と1月20日の年2回、あるいは、1月10日または1月20日の年1回開催するところがあります。地域のよっては1月のえびす講を「商人えびす」、10月のえびす講を「百姓えびす」と呼ぶこともあります。
関東地方の「二十日えびす」
東京の秋の風物詩のひとつ「べったら市」は、江戸中期の中ごろから、寶田恵比寿神社(東京都中央区日本橋)の門前で10月20日のえびす講のお供えにするため、前日の19日に市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源となります。
浅漬け大根のべったら漬がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれ、若者が「べったりつくぞぉ~、べったりつくぞぉ~」と叫びながら縄に縛った大根を振り回して参詣客の着物の袖につけてからかったそうです。べったら漬はアメと麹で大根を漬け込んでいるため、衣服にべったりとついてしまうことからべったら漬という名になったといわれます。
寶田恵比寿神社は、江戸時代以降、商業の神様として商人の厚い信仰を受けており、日本橋七福神の恵比寿像が祀られています。商売繁盛、家族繁栄、火防の守護神として崇敬者は広く関東一円に及び、秋のべったら市開催時に合わせ、えびす講は例年大変な賑わいとなっています。名物のべったら漬けの露店20店ほどをはじめ、七味や飴細工などの約500店の露店で賑わいます。 夜には寶田恵比寿神社前の大提灯や界隈の1500を超す数の提灯があたりを彩り、その独特な夜祭の雰囲気にひかれ、多くの人が集まります。
関西地方の「十日えびす」
えびす講では恵比須様をお祀りする神社を参拝して、商売繁盛を祈願します。えびす講の日には、多くの露店が並んだり、神楽(かぐら)が奉納されたりします。神社の参道には熊手(くまで)や福笹(ふくざさ)などの縁起物を売る店が並んでいます。ここで縁起物を購入して、家庭の神棚に供え、お酒や食べ物も供えられます。なかには、鯛を抱えるえびす様にちなんで、生きた魚をお供えする地方もあります。他にも、その土地の旬の食べ物(サンマ・柿・栗・大根など)をお供えしています。えびす講の日には知り合いを招き、大勢で賑やかにお祝いをするというしきたりもあり、関西地方では商人が商売仲間を招き、関東地方では親せきや友人たちを招いて宴会が行われ、商店街ではえびす講セールの大安売りをするところもあります。
えびす講の神事のひとつの「誓文払い」とは、京都の商人や遊女たちが10月20日に、四条寺町にある官者殿(かんじゃでん・冠者殿)に参詣していた風習をいいます。 客たちを欺いたり、騙したりしてきた罪を祓い、神罰を逃れるために祈願することで、商売人たちが日ごろ儲け過ぎている利益をお客に還元して禊をするというものです。商人が日頃の掛け値の高さを顧客に還元するためのバーゲンセールをしたりといったようなことが行われています。
商売繁盛で笹持って来い!
兵庫県西宮市の西宮神社は、えびす様をご祭神とする「えびす神社」の総本社で、もともと「御狩神事(みかがりしんじ)」という神事、五穀豊穣や商売繁盛を占うお祭りが行われていました。それが「十日えびす」になったといわれます。また、京都の京都ゑびす神社では、恵比須様が1月10日に生まれた説にあやかったといわれます。滋賀県の豊国神社は豊臣秀吉を祀っていましたが、大阪の陣で豊臣氏を滅ぼした徳川家康に壊された後、長浜町の人々は神社再建を「恵比須様をお祀りするため」とカムフラージュして、えびす宮の裏側に豊臣秀吉のご神像を隠して祀ったのが十日えびすの始まりともいわれます。
右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えているえびす様は、もともと漁業の神様であるので、神棚への供えものには生きた魚をお供えすることもありますが、後には生きたまま放つことで、殺生を戒めることになります。これを「放生」といい、宗教儀式「放生会」にも繋がるものです。
十日えびすで売られる「福笹」は恵比須様が持っている釣り竿を見立て、笹を飾ることで商売繁盛のご利益があるといわれます。竹は真冬でも青々として葉をつけ、まっすぐに伸び、厳しい風雪にも耐えていることが、商売で訪れる苦難や逆境に耐える象徴とされ、商売繁盛の縁起物となりました。福笹には「吉兆(きっちょう)」または「小宝(子宝)」とよばれる米俵や小判、鯛などを模した縁起物を付けて家に飾ると福を授かるといわれます。「商売繁盛で笹持って来い!」とは、自分で笹を持っていけば、その笹に「吉兆、小宝」を付けてくれていたそうです。
熊手は農作業や掃除の道具で、ものを掃き集めることから「福や金運を掃き込む」「福や金運を集める」として、「熊手」も縁起物で売られます。熊手でかき集めた福や金運をすくい取る意味がある「福箕(ふくみの)」も縁起物として売られ、ともに吉兆・子宝を付けた熊手・福箕を一年おきに買うといいともいわれます。
七つの災難から、七つの福が生まれる
「七福神」の信仰は、室町時代から起きたものともいわれ、普通は恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人の七神があてられます。このうち寿老人は福禄寿と同体異名であるという説もあることから、寿老人の代わりに吉祥天を入れることもあります。七福神は吉祥の象徴として、絵画や彫刻、芸能の題材にもされています。
インド伝来の仁王教(にんのうぎょう、にんのうきょう、大乗仏教における経典のひとつ)の中にある「七難即滅 七福即生」という仏教語に由来する、福徳の神としての本で信仰される七柱の神です。それぞれがヒンドゥー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っています。
七難即滅七福即生とは七つの災難がすぐに消えて七つの福が生まれるということで、経を読んだり神仏を信仰した功徳によって災いが福に変わるということです。
仏教経典の「仁王経」に『七難即滅、七福即生』の言葉があります。これは世の中の七つの大難「太陽の異変、星の異変、風害、水害、火災、干害、盗難」が、ただちに消滅し、「寿命・裕福・人望・清廉・愛敬・威光・大量」の七つの福が生まれるとの意です。この七つの福をお願いするのが、七福神信仰につながっているのです。
七福神と神無月の留守神
恵比須天は伊邪那岐命・伊邪那美命の間に生まれた子供「蛭子(ヒルコ)」、もしくは大国主神の息子である「事代主神(コトシロヌシ)」などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神です。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神といわれます。
旧暦10月には日本中の神様が出雲(島根県)に集まって会合を開くと考えられていたため、10月は神様のいない月、「神無月(かんなづき)」といわれています。一方、たくさんの神様が集まる出雲では、この月を「神在月(かみありづき)」といって、さまざまな行事で神様を迎えます。でも、神様が留守の間、出雲以外の地域では人々の暮らしはどうなるのだろうか。八百万の神々が会議に出ている間、出雲地方以外の場所では神様が不在となります。その間、人々や家を守ってくれるのが、恵比須様はじめとする留守神様です。家庭を守るのが「大黒様」、商家を守るのが「恵比須様」で、農家は両方の神様が守ります」。他にも、東日本は大黒様、西日本は金毘羅様、さらに旅人を守るのが道祖神で、七福神以外も、留守神様として守ってくれています。
もともとえびす講とは、神無月の10月の留守神様として、とり残されて寂しい思いをしてるであろう恵比須様を慰めるために、始まったとも伝えられています。